あらゆる産業の中で、突出して労働災害の発生率が高い林業。しかし、林業従事者の主な施業場所となる森林は携帯電話の圏外エリアが点在している。事故発生時に救援の要請できないことが原因で、重症化や死に至るケースも少なくないという。
そこで、町の約90%が森林で林業従事者も多い愛媛県久万高原町は、「LPWA(Low Power Wide Area)方式」で町内全域の自営通信網を整備し、森林内からでも正確な位置情報を伴う救助要請を発信できる、全国でも前例の無い体制を整えた。
愛媛県庁が先ごろ開催した「行革甲子園2020」で、審査員長特別賞を受賞したこの取り組みについて、同町情報政策推進室の田村裕子室長に聞いた。
町内全域をカバーする通信網で、林業の安全性を高める
チェーンソーや重機などを使い、樹木の伐採や下草刈り、作業路の開設などを行う林業従事者。足場の悪い山林内の傾斜地で作業を行うことも多く、ちょっとしたミスでも重大事故につながる可能性が高い。実際、人口8000人に満たない久万高原町内でも、この10年間で林業作業中の救急搬送が20件も発生。うち11件は、 死亡あるいは重症事例だった。森林における通信手段を整備することで、より迅速な救助・救命が可能になり、被害の程度を軽減できるケースも増えるだろう。
とは言え今後、携帯電話キャリアが、林業従事者以外は立ち入ることもないような森林内の圏外スポットを漏れなく探し、森林全域を携帯電話の通話エリアとして整備する可能性はゼロだ。
「音声通話は無理だとしても、SOSと位置情報さえ発信できれば、安否確認と迅速な救急救命が可能になります。随所に点在する“圏外エリア”を埋め、どのような事業形態の林業従事者の救助要請にもこたえるためには、町全体を一括してカバーし、役場、消防、林業従事者が連携して救助体制を整える必要があると考えました」(田村さん)。
そこで令和元年度、総務省「地域IoT実装推進事業」補助金を活用し、LPWA方式による町内全域通信網を構築するプランが立ち上がった。LPWAは、回線容量は小さいものの長距離通信が可能で、消費電力も少ない。樹木が生い茂る急峻な森林で通信を確保するには、山中の電波が届く範囲内に複数の中継機が必要になるが、LPWAなら商用電源が取れない山中でも、 ソーラーパネルとリチウムイオンバッテリを組み合わせて長期間稼働させられる。まさに同町が目指す、『町内のどこからでもSOSと位置情報を発信できる通信網』にピッタリの方式だった。
久万高原町 情報政策推進室 田村裕子室長
LPWA子機からの自動位置情報発信で「移動経路」を記録
LPWAには複数の規格があるが、同町の場合、山手線内側エリアの9倍以上という広大な面積(583.7k㎡)をカバーするため、無線局登録が必要な250mW規格を選択。複数事業者の機器を検証した結果、高出力LPWAを用いた長距離通信に実績があり、登山者用として本事業に転用可能なLPWA子機とアプリの開発も進めていたフォレストシー社(東京都)のシステムを採用することになった。
標高の高い場所に中継機を設置することで、メッシュ状に町内全域をカバーするLPWA中継網を整備。林業従事者が携帯するLPWA子機との通信は、直接電波が届かないところからでも中継網を介して同町庁舎屋上に設置の親機まで到達する。
通信空白地帯を無くすだけでは、肝心の『迅速な救急救命』は実現しない。森林には、地図に載っていない林道や作業道が無数にあり、救助ポイントは、そのさらに奥になる。どの登り口からどう進んだか…という経路情報がSOS信号とセットになっていなければ、現地まで救急・救助隊が迅速・正確にたどり着くことは困難なのだ。そこで、LPWA子機から3分に1回自動発報する位置情報をクラウド上に蓄積。通信容量が少ないためリアルタイムで追うことはできないが、地図上に道が表示されていない場所にも軌跡が残り、登り口などを推測することができる。
また、導入したLPWA子機は、Bluetoothでスマホとペアリングし、専用アプリを使うことでメッセージのやり取りも可能。携帯電話の圏外からでも事故等の状況を連絡できる。緊急事態が発生した際、落ち着いて文章を打ち込むのは困難だ。これに対処するため、専用アプリにはSOS発信のテンプレート機能を設け、できるだけ少ない操作で状況を伝えられるよう改良を加えた。
運用開始後も訓練を繰り返し、「久万高原町モデル」を熟成させる
令和元年度からスタートした中継局設置などが完了し、いよいよ本格運用に移行する久万高原町のLPWA通信網。「ここで完了ではなく、本格運用後も引き続き、役場と消防、利用者の皆さんとの相互訓練が必要だと考えています」。
例えば、役場と消防本部との連携強化。同町は構想の段階から、LPWA子機からの救助要請を「119番通報」と同様に取り扱うことを目指し、検証と訓練を進めてきた。しかし万が一の“本番”の際、役場と消防本部とが連携して迅速に動けるようにするには、本番を想定した訓練を繰り返す必要がある。短い文章で情報を的確に伝えられるテンプレートや、消防側からの質問方法も、利用者とともに訓練を繰り返さなければ、改善すべき問題点を特定しにくい。
同町の場合、会社や組合などの林業事業体に所属せず、自己所有の森林の施業などを自身で行う「自伐林家」も多いので、それら個人事業者に対する告知と訓練への参加呼びかけも今後の課題だ。
「圏外エリアでも専用アプリを介したメッセージのやり取りができるので、林業に従事する皆さんが子機を持ち、普段からアプリを使っていただきたい。使い方に慣れてくれば、『事故現場はここから近いので、消防隊員が到着するまで応急処置をしよう』などの動きも可能になると考えています」。
LPWA通信網は親機から携帯キャリアのLTE回線を介してクラウドに接続している。インターネットにつながったPCやスマホから同クラウドにアクセスすれば、ID・パスワードで許可された権限の範囲でLPWA側とクラウド上でメッセージのやり取りも可能になる。
なお、本事業は総務省による補助金を活用したものだが、同町の場合はインフラ部分(親機及び中継機新設)の半分 だけを補助対象とし、残りは補助対象外として費用を計上した。と言うのも、LPWAはもともと、IoT(※1)やM2M(※2)に適した無線方式であり、森林からのSOS発信以外にも、獣害対策用の遠隔監視装置や河川の水位センサ、スマートウォッチに付属する心拍・体温センサ等と組み合わせることで、様々な住民サービスに結びつけることができる。
現在、「スマート農林水産業」に関する実証実験が各地で展開されているが、研究・実証が進めば、いずれLPWA通信網の新しい活用法も生まれるだろう。そうした変化をいち早く取り入れるためにも、あえて「半分だけ」の補助申請にしたわけだ。
同町は今後、本事業を「久万高原町モデル」として他の自治体やIoTデバイスの開発を行う企業などに展開し、町のプレゼンス向上や、中山間地におけるIoT実証フィールドとしての活用を図る考えだ。
「全国の中山間地、林業地では、本町と同じような課題を抱えておられると思います。『久万高原町モデル』は、林業従事者の安全性向上とIoTインフラ整備が一度にできる取り組みですので、ぜひご検討ください。現地見学等も、気軽にお問い合わせください」(田村さん)。
※1:さまざまなモノをインターネットに接続させる技術
※2:異なるデバイス同士をインターネット経由で通信させる技術
取組のPOINT
1.目的を明確にしてから、システムの「設計図」を描いた
音声通話の可否は最初から考慮せず、「町内のどこからでもSOSと位置情報を発信できて、迅速な救助を可能にする」という目的を決めていたので、通信方式の選択とシステム構築が比較的早期・ローコストで実現した。
2.救助用個人情報を共有できる体制で、迅速な救急救命
個人で施業する自伐林家は、LPWA子機を申し込む際に救助用個人情報(血液型、既往症、アレルギーなど)を提出してもらい、役場と消防本部とで情報共有。救急救命に活用する仕組みを作った。
3.役場と消防本部との連携による事業実施
様々な事業形態が混在する久万高原町の林業。業態に関わらず、林業従事者の誰もが町内どこからでも救助要請できる仕組みを実現させるには、LPWA子機からの救助要請を119番通報と同様に扱えるようにすることが重要だ。「町」が一丸となって林業従事者を守る体制作りに取り組んでいる。
※行革甲子園2020での久万高原町の発表資料はこちら
https://www.pref.ehime.jp/h10800/shichoshinko/renkei/documents/kumakougen.pdf