
農業災害とは、豪雨や台風といった自然災害などの影響によって農業分野に深刻な被害をもたらすことである。近年、全国各地でこうした自然災害が頻発し、農作物だけでなく、農地や農業施設、農業用機械にまで広範な被害が及ぶケースが増えている。農業災害は、生産者の生活基盤を脅かすだけでなく、地域の食料供給や経済にも大きな影響を及ぼすため、未然に防ぐことが重要だろう。
本記事では、農業災害が深刻化する背景や、気候変動への適応策である「農地防災事業」について解説する。併せて、実際に農業災害対策に取り組む自治体の事例も紹介するので、ぜひ参考にしてほしい。
【目次】
• 農業災害が深刻化する背景。気候変動の異常気象の影響
• 農業災害への備えとしての「農地防災事業」。地域と農地を守る仕組み
• 農業災害に備えるハード対策。排水・ため池・施設の強靭化
• ソフト対策で地域を守る! ICTと地域協力による災害対策
• 農業災害に強い地域づくりのために今後求められる視点
※掲載情報は公開日時点のものです。
農業災害が深刻化する背景。気候変動の異常気象の影響
まずは、農業災害の原因ともいえる、気候変動や自然災害の発生について確認しておこう。
気象庁の発表によると、令和6年の年平均気温偏差は+1.64℃(1月~11月の期間から算出した速報値)と、統計を開始した明治31年以降、最も高い値となった。なお、日本の年平均気温は100年あたり1.40℃の割合で上昇しており、温暖化が進行している。
また、大雨の年間発生回数も増加している。気象庁によると、1時間降水量80mm以上、日降水量300mm以上などの強度の強い雨は、昭和55年頃と比較すると、2倍ほどに頻度が増加している。さらに、日本各地で規模の大きい地震が頻発していることも忘れてはならない。
※出典:国土交通省 気象庁「日本の年平均気温」「大雨や猛暑日など(極端現象)のこれまでの変化」
温暖化と災害の激甚化が農業に与える影響
急激な気候変動や頻発する地震は農業分野にも大きな影響を及ぼしている。例えば、気温上昇により、水稲の品質低下やリンゴの着色不良などの品質低下や収穫量減が発生している。カメムシなどの病害虫の大量発生も問題化した。そして、大雨や台風が増加したことで、農地の冠水だけでなく、ガラスハウス・ビニールハウスなどの農業用施設も大きな被害を受けている。
また、地震や津波でも農地ががれきに埋まる、冠水するといった被害が発生している。
※出典:農林水産省 令和7年2月「農林水産分野における気候変動への 適応に関する取組」
近年の農業災害と被害額の推移
気候変動や地震が原因で農業災害が起こることを紹介したが、具体例な被害についても確認しておこう。
※出典:農林水産省資料
■令和2年7月豪雨
令和2年7月3日~31日、日本付近に停滞した前線の影響で大雨が発生し、各地で甚大な被害が発生した。特に、球磨川(熊本県)、筑後川(福岡県)、江の川(島根県・広島県)、最上川(山形県)といった大河川の氾濫、埼玉県三郷市の竜巻は大きな人的・物的被害をもたらしている。この災害での農業関係の被害額は以下の通りである。
・農作物等:186.3億円
・農地・農業用施設:1032.5億円
■令和2年~令和3年の冬季の大雪
令和2年12月中旬~1月上旬頃、大陸からの寒気が日本付近に流入し、日本海側を中心に大雪被害が発生した。東北地方や北陸地方を中心とした19地点で72時間の降雪量が昨冬までの記録を更新した。東北地方以南の日本海側でも、多くの場所で最深積雪の平均値を超えている。この災害での農業関係の被害額は以下の通りである。
・農作物等:229.9億円
■令和5年6月29日からの大雨
令和5年6月29日頃から梅雨前線が西日本から東北地方に停滞し活発に活動した。島根県、福岡県、佐賀県、大分県では線状降水帯が発生、福岡県と大分県を対象に大雨特別警報が発表された。山口県山口市および美祢市では災害救助法も適用されている。この大雨では、住宅被害のほか、人的被害も報告された。この災害での農業関係の被害額は以下の通りである。
・農作物等:80.8億円
・農地・農業用施設:691.5億円
※出典:国土交通省「6月29日からの大雨に関する被害状況等について(第19報)」
農業災害への備えとしての「農地防災事業」。地域と農地を守る仕組み
ここまで紹介したように、自然災害によって農業関連にも大きな被害が出ているが、農業や農地を災害から守るための取り組みも進みつつある。農業災害への備えである「農地防災事業」について見ていこう。
農地防災事業の目的と役割
農地防災事業とは、自然災害による農業関連の被害を未然に防止することで、農業生産の維持を目指す取り組みである。当事業は、農業経営の安定、国土保全、地域住民の生命や暮らしの安全確保にも寄与している。
対象となる具体的施策
農地防災事業には農林水産省直轄で実施する事業と、政府が交付金を出し都道府県が実施する補助事業がある。具体的な施策を紹介する。
※出典:農林水産省「安全・安心で活力ある農村づくり~農地防災事業の概要~」
洪水・地すべりの防止
ため池堤体のかさ上げで豪雨での洪水被害を未然に防止する。また、地すべりによる農地への被害を防ぐため、地すべり防止区域内での地下水排除工事、斜面の改良なども行う。
排水施設・ため池の耐震化
地震等の災害に備え、ため池や排水施設の整備・改修を行う。併せて、ハザードマップの作成や危機管理向上施設の整備も行い、ため池転落等の事故防止にも努める。
土壌浸食・汚染・地盤沈下への対応
農作物の生育維持および農作業の能率低下防止のため、火山性土壌が存在する場所の土壌浸食防止を行う。また、農用地の土壌汚染、地盤沈下に対しての対応も行う。
渇水対策
渇水に備え、農業水路に用水補給ポンプの設置を進める。
農業用排水の水質保全
農業用排水の水質保全のために、用水路と排水路の分離や水質浄化施設の設置を進める。
情報伝達体制の強化
情報連絡のシステム整備やハザードマップを作成する。また、防災情報管理システムによる農業災害発生予測も進める。
農業災害に備えるハード対策。排水・ため池・施設の強靭化
農業災害に備えるためには、排水設備、ため池などのハード面の強靭化が重要となってくる。取り組む自治体事例と国の補助制度について解説する。
田んぼダムの活用による氾濫リスクの軽減
田んぼダムとは、新潟県村上市神林地域で平成14年に始まった洪水被害を軽減する取り組みである。
【新潟県村上市】 水田の排水調整で下流域の氾濫を防止
田んぼダムとは、水田の排水口に小さい穴を開けた調整板や堰板(せきいた)を取りつけ、貯まった雨水を徐々に排出できるようにしたものである。水路や河川の急激な水位上昇を防止し、あふれる水量や範囲の抑制も可能になる。ダムや遊水地のような施設ではなく取り組みであり、実施する地域だけでなく、下流域の排水路・河川にも効果があるのが特徴だ。
ちなみに、排水されるまで水田に貯まる水量は農作物に影響を及ぼすほどではないという調査結果が出ている。実施する水田で収穫された作物の収量・品質にも明らかな影響は見られなかった。
また、具体的な効果についてだが、平成23年の新潟・福島豪雨をモデルとしたシミュレーションでは、未実施の場合と比較して、浸水面積・氾濫水量が2割減ったと報告された。現在、田んぼダムの取り組みは、「流域治水プロジェクト※」の一つとして、北海道から九州まで拡大している。
※流域治水プロジェクトとは、国・流域の自治体・企業などが連携し、河川整備に加え、雨水の貯留・浸透施設の設置、土地利用の規制、利水ダムの事前放流といった多様な対策を組み合わせて、各水系ごとに重点的に実施する治水対策の全体像をまとめた取り組み
※出典:令和4年4月 農林水産省 農村振興局 整備局「田んぼダム」の手引き
ため池・排水施設・農業用施設の耐震化・長寿命化
農業災害を防ぐためには、ため池や排水施設などをなるべく便利に長く利用することも考えなければならない。新潟県見附市の例を見てみよう。
【新潟県見附市】 改良型調整管で農地排水をスマート化
新潟県見附市では田んぼダムに取り組んでいたが、周囲の自治体も採用する従来の排水管の場合、生産者が管を上げ下げする必要があり、水位調整も生産者に委ねられていた。そこで、排水管をフリードレーンタイプ調整管に改良。市が初期費用を負担し導入を進めた。維持管理についても地区の管理組合に委託費を払い依頼することとなった。これらの改善により、田んぼダムは市内で広く普及し、令和5年度には普及率が96.4%に達した。
※出典:国立研究開発法人 国立環境研究所「気候変動適応情報プラットフォーム」
ため池等の防災減災対策事業の活用
これから自治体の農業災害防止を検討するのであれば、防災減災対策事業についても押さえておこう。
国の補助制度
例えば、ため池の改修や付帯施設の整備を行う場合、「防災重点農業用ため池緊急整備事業<公共>」の対象となる可能性が高い。当事業では、耐震化や長寿化を目的として行うため池の改修について、補助率2分の1を基本にした支援が受けられる。ちなみに、計画策定や点検については自治体が主体で実施できる。
※出典:農林水産省「ため池の防災・減災対策に活用可能な補助事業」
ソフト対策で地域を守る! ICTと地域協力による災害対策
農業災害防止のためには、ハード面だけでなくソフト面の対策も行いたい。対策例を紹介する。
豪雨災害リスク評価システムの導入
独立行政法人農畜産業振興機構は、現在から15時間先の水害発生危険度が分かる「豪雨災害リスク評価システム」を構築した。このシステムの情報は、排水施設の操作準備や収穫物の事前避難など、被害軽減のための行動に役立てられる。
農業情報APIでの予測活用
国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構は、WEBサイトを通じて様々な栽培管理支援情報を提供する農業情報システムを開発。このシステムでは、農業気象災害や病害の軽減に役立つ早期警戒情報を配信しているほか、発育予測や施肥診断などを通じて生産管理の効率化や農業のスマート化に貢献している。
なお、一部の情報コンテンツはWeb APIとして提供されており、「農業データ連携基盤(WAGRI)」を通じて利用することもできるという。
※出典:独立行政法人 農畜産業振興機構「農業被害予測に活用する豪雨災害リスク評価システム」
※出典:農林水産省「予測を含む気象データを利用した水稲、小麦、大豆の栽培管理支援システム」
地域連携による初動体制の整備
農業災害防止のためには近隣との協力が重要ではあるものの、人口減少に伴い難しくなってきた。そこで、地域の生産者同士だけでなく、JA、行政など農業関連団体との連携体制を強化しようとする動きも出ているようだ。
農業災害に強い地域づくりのために今後求められる視点
これまでの農業災害対策は、個別・各地域内で行われ、農用地や農業用設備の被害防止のようにハード面に偏った部分もあった。しかし、自然災害が頻発するようになったため、個別・地域内の対策だけでは間に合わなくなっている。今後は広域的・総合的な視点での対策が求められるようになるだろう。
これから農業災害対策を検討するのであれば、自治体内だけでなく、ほかの自治体とのつながりも考慮する必要がある。そして、設備の設置といったハード面はもちろん、災害情報発信や災害リスク評価システムの導入などソフト面の対策も考えていきたい。