役所に足を運ばずに相談や申請ができる行政デジタル化の模索が進む中、東京都江戸川区はインターネット上に「メタバース区役所」を立ち上げ、仮想空間での窓口業務を全国に先駆けて本格化させた。職員採用の説明会もメタバース上で開くなど、取り組みを加速化している。区役所の担当チームに話を聞いた。
※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。
Interviewee
中央:メタバース区役所PTリーダー 東京情報デザイン専門職大学 准教授 大舘 隆司(おおだて りゅうじ)さん
左から2人目:江戸川区 経営企画部 DX推進課 課長 渡邊 良光(よしみつ)さん
そのほかメタバース区役所PTメンバー DX推進課のみなさん
障害者団体との実証実験で手応え。
令和5年9月、インターネット上に江戸川区役所の庁舎が姿を現した。
メタバース区役所の実証実験のために“建設”された仮想の庁舎だ。中に入ると、総合案内も現実さながらに再現されている。来庁者は分身となるアバターの姿で庁内を歩き、チャットや音声で職員とやりとりできる。
「メタバースの導入により、オンライン相談や電子申請に加え、さらにサポートが充実したオンライン窓口サービスが可能になります」と渡邊さんはねらいを説明する。
▲メタバース区役所内の相談ブース。利用者も職員もアバターの姿でやりとり可能でプライバシーも確保されているという。
同区は、令和2年度に「来庁不要の区役所」を目指す「江戸川区DX推進指針」を策定。行政手続きの電子化とオンライン相談を推進してきた。その中で令和3年度、民間での活用が進んできたメタバースについて、行政分野での利用の検討に着手した。
「メタバースを利用することで、電子申請とオンライン相談を組み合わせることができる。仮想空間で相談をして、そこで何らかの行政手続きが必要となれば、引き続き電子申請のサポートを一気通貫で行う。いわば“寄り添い型”で支援することができます」と渡邊さん。
特に、身体的な事情から外出が難しい区民にとってメタバースは利点が大きい。そこで令和5年9月、区内の複数の障害者団体が加入している江戸川区障害者団体連絡会と連携して「メタバース区役所」の実証実験を開始した。
「ユニバーサルデザインの考え方にもとづくと、障害者の方にとって使いやすいシステムは、全ての方にとって使いやすいシステムになるはずです。まず障害者の方々からたくさんのご意見をいただき、できる限りシステムに反映させようと考えました」
各団体に対して時間割を設定し、障害者福祉課の職員がメタバース内で、アバターの姿で待機。利用者の相談に対応し、申請手続きを支援する。職員にとっても初めての経験のため、利用者にどう対応するか、こういった相談があった場合にはどう案内するかなど、検証を繰り返して課題を抽出した。
利用者からは「こういったサービスが提供されれば、天気に関係なく役所に行くことができ、相談や手続きができるのは便利」と歓迎する声が寄せられた。一方、アバター操作やチャットによるコミュニケーションには慣れが必要だという指摘も聞かれ、本格運用に向けたサービス改善への貴重な意見となったという。
匿名性を活かしてハードルを下げる。
実証実験の経験を経て、令和6年6月からは全区民を対象とした「メタバース区役所」の本格運用が始まった。
運用に向けて区内にある東京情報デザイン専門職大学と連携し、准教授で株式会社バンダイナムコスタジオの元マネージャーの大舘 隆司さんをリーダーとするプロジェクトチームを結成。同大学が学術連携を結んでいる大日本印刷株式会社(DNP)からの技術協力も得て、新たにメタバース空間を構築した。
実証実験で課題となっていた利用者と職員との資料の共有が可能になるなど、利便性を向上。プライバシー確保もさらに徹底したという。
▲左がメタバースの江戸川区役所、右が現実の江戸川区役所。細部まで忠実に再現されている。
対応部署は子ども家庭部、健康部、福祉部、生活振興部、教育委員会事務局の5部に拡大。保育サービス相談や感染症相談、公営住宅申し込みに関する相談、町会・自治会への支援に関する相談、就学手続きの電子申請手続き支援など、サービスの範囲も大きく広がった。
事前予約方式で、毎週水曜日の午前9時から午後5時の間、相談や電子申請手続き支援のサービスを提供する。予約時に相談内容などを選択して申し込んでもらい、所管部署が事前に準備して対応する形をとっているという。
「利用者にはリピーターになってもらい、ほかの区民に“メタバース区役所っていいよ!”と伝えていただいて利用者増につなげたい。逆に“なんだこのサービスは!”と思われてしまうと二度と使ってもらえないので、対応する職員もしっかり準備をして臨んでいます」と渡邊さん。
区民からの相談では、保育関係の相談が特に目立つという。「従来のオンライン相談でも保育関連のニーズが高く、ユーザー層が子育て世代と重なるのかなと捉えています」と渡邊さん。入園の条件などに関わる相談が多く、メタバースの匿名性が有効に作用しているようだ。
利用拡大はこれからだが、メタバース区役所のポータルサイトには開設から3か月で約4,000人が来訪。SNSで情報発信をすると1回で1,000件を超えるアクセスがあり、関心の高さ、潜在的なニーズに手ごたえを感じているという。
「担当する各部署も前向きです。研修会も実施していますが、継続的なスキルアップの機会を求める声も多い。区の方針としてメタバースを使った行政サービスを打ち出しているので、窓口を担う職員として必須のスキル、という認識が出てきています」。
行政のデジタル化の流れの中でメタバースという選択肢が広がり、未来型の区役所のあり方、サービスのあり方を目指す機運の醸成につながっているという。
職員採用説明会も成功。全庁にサービス拡大へ。
令和6年7月には、区職員の採用説明会もメタバースで開かれた。
東京都内の自治体としては初の試みで、33名が参加した。参加者はネット上の分身にあたる「アバター」の姿で出席し、勤務内容や各種制度などの説明に耳を傾けた。個別相談会では、採用担当者と匿名でやりとりできるため、本音部分で関心の高い分野についての質問が多かったという。
終了後のアンケートではメタバースでの採用説明会について、回答者の93%が「とても良い」「良い」と回答。「移動時間が不要なので参加のハードルが低くなった」「聞きづらい質問も聞きやすかった」などの声が寄せられたという。
▲メタバースで開かれた職員採用説明会。「聞きづらいことも聞ける」と志望者に好評だったという。
メタバース区役所は令和7年度、区役所の全部署に拡大される予定だ。
「基本的に全ての部、全ての課で、メタバースでの相談に対応できるようにしていきたいと考えています」と渡邊さん。全庁で対応可能なメタバース空間を設計・構築していくという。
江戸川区は当初、新庁舎への移転が予定される2030年に合わせたメタバース全庁化を想定していたが、実質的に5年前倒しされる形だ。
「計画を発表した当初から、便利だから前倒しできないかという意見があり、実証実験でもこれなら技術的に可能ということが色々と出てきました。メタバースで100%何でもできるようになるまで待つのではいつになるかわかりません。ある程度のサービスの質が担保できて、セキュリティやプライバシーが確保できるのであれば、スモールスタートでも始めようということで前倒しになった流れです」。
新庁舎への移転の際にはさらに最新の技術を盛り込み「グランドオープンのような形にしたい」と渡邊さん。それまでの間は既存の区役所をメタバース化しながら、必要なサービスを提供できるようにしていくという。
「区役所と区民の方の接点は従来からありますが、メタバースという技術を使ったことで、また新たな接点ができたかなと思っています。メタバースだからこそ、心理的なハードルが下がり、気軽に質問できる、そういった方も少なからずいらっしゃるので、新たなニーズを掘り起こしていきたいですね」
全国に先駆けての取り組みだけに、他の自治体からの視察や問い合わせも多い。
「私たちもフロントランナーとして初めての経験で、メタバースを使ったサービスがどういう層にニーズがあるのか、どういった行政サービスと親和性が高いのか、取り組みを進めながら検証しているところです。その経験を、これからメタバースを使おうという自治体にも参考にしていただければと思います」と意気込みを語った。