応援職員に聞く【災害廃棄物処理】
被災地では、倒壊家屋や大量の災害廃棄物が復旧の妨げになることも多い。東日本大震災の発災時に、災害廃棄物の処理事業に携わった経験をもつ鈴木さんは、こうした問題に関する知見を有し、能登半島地震でも被災地を支援。課題や所感も含めて現地での取り組みを振り返る。
※下記はジチタイワークスVol.33(2024年8月発行)から抜粋し、記事は取材時のものです。
宮城県東松島市から石川能登町へ派遣
Interviewee
東松島市 SDGs・脱炭素社会推進課 課長補佐
鈴木 雄一(すずき ゆういち)さん
災害廃棄物処理の知見を携えて、能登半島の復旧支援に向かう。
鈴木さんは、平成21年から宮城県へ派遣で赴き、一般廃棄物や各種リサイクル法を担当。東日本大震災の発災後は東松島市に戻り、災害廃棄物の処理事業に従事した。このとき、災害廃棄物の分別方法“東松島方式”の確立に貢献。これらの経験から、能登半島地震では能登町への派遣が決まった。
現地入りは発災から2カ月後だったが、状況は“非常に悪かった”と振り返る。「水は出ず、倒壊家屋が道路の半分をふさいでいました。そこを小学生が通学している。何とかしたいという気持ちでした」。同時に、復旧の遅れには地理的な要因もあると分析する。「東日本大震災では沿岸部が壊滅的な打撃を受けましたが、内陸部は比較的安定していたので、業者の行き来や最低限の流通は確保されていました。しかし、能登町では主要な道路が絶たれ、業者の確保なども困難な状態だったのです」。
その上、廃棄物処理を担当する住民課は、被災者の対応に追われ、全く手がまわっていなかったという。「公費解体の申請受付や住民票の発行業務、鳴り止まない電話対応などに奔走し、災害廃棄物の処理までは、とても追い付いていない様子でした」。こうした状況のもと、現地で活動していた宮城県からの引き継ぎを受け、能登町における災害廃棄物処理の計画策定を開始した。
被災者や被災自治体の視点で、地域に負担が少ない支援を。
計画策定において、まずは担当者と共通認識を深めたそうだ。「被災者にとって災害廃棄物は、ごみではないんです。財産であり、大切な思い出なんです。それを燃やす・埋めるというのは、気持ちの整理もすぐにはつかない。だからこそ分別を徹底して、可能な限りリサイクルを進めていきましょうと伝えました」。
能登町から、3月中旬には公費解体に着手したいという意向が示され、優先して準備を進めたという。その中で、庭に散乱した家財をどう扱うのかという話も出たが、ここでも被災者の立場で提案。対象となる家屋の撤去だけでなく、散乱家財の撤去(公費解体とは別に契約)も同時に行うことで、被災者の負担が軽くなる案を提示した。ほかにも、国の補助金の活用などについてもアドバイスをしたという。「東日本大震災で経験しましたが、被災自治体は被災者の対応に忙殺されます。しかし、応援派遣にも期限がある。十分な人数や、専門性や知見がある職員がいなくても、いずれ引き継いでもらわないといけない。それを見据えて計画には随時修正を加え、必要に応じて事業者の力も借りながら進めました」。
▲ 東松島市では、災害廃棄物を19品目に分別した。
約10日間にわたる活動の後、鈴木さんは帰任。被災地での活動をこう総括する。「復興への道のりはそれぞれ異なります。被災地の地形や地域のルール、職員数や財源、自治体の方針など様々な要素が絡んでくる。だからこそ、被災者や被災自治体の声をしっかり聞き、状況に合わせた支援をしなければと改めて思いました」。