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【区長の本音<15>台東区長・服部 征夫さん】歴史と文化を地域の発展につなぐ。

区長公選制復活から半世紀、基礎的な地方公共団体となって25年という大きな節目を令和7年に迎えた東京23区。そんな日本の首都を支える区長の皆さんの素顔と“本音”をご紹介する連続インタビューの15回目は、台東区・服部 征夫さんが登場。文化行政や地場産業振興への思い、そして職員のチームワークについてお話をうかがった。
※記事の掲載情報は公開日時点のものです。
父の背中と学生時代の経験から政治の道へ。

ー まず服部さんが区長になられた経緯をお聞かせください。
地域のために働きます、というのが私の政治信条で、区議会議員から都議会議員へと地方議会一筋に歩んできました。区議から都議へと、地方議会一筋に歩み、そして、平成27年の区長選では、これまでの地方議会での経験を活かし、行政のトップとして働こうと決意しました。
ー 政治の道に進まれた経緯は。
父が福岡県八女市の市長を務めており、その背中を見て育ったので、政治の道を目指す気持ちは当時からありました。学生時代は日本大学雄弁会に所属し、様々な選挙を手伝っていました。そんな中、元・環境庁長官の山田 久就(※)先生が衆議院議員選挙に出馬した際にお手伝いしたことが、大きな契機になりました。大学卒業後は民間企業に就職しましたが、2年半ほど経った頃、それまでご縁があり薫陶を受けていた、山田先生の秘書となって多くを学ばせていただきました。
ー その後、32歳の若さで台東区議会議員に初当選されました。
秘書時代、私は主に台東区を担当し、皆さんから様々な要望をお聞きしていました。ちょうど谷中選出の区議会議員が引退されるタイミングで、地元の方から「選挙に出たらどうか」というお話をいただいたのです。当時は独身で身軽でしたからすぐに谷中に移り住み、区議会議員選挙に立候補しました。
※山田 久就 外務事務次官、駐ソ連大使などを歴任した外交官。退官後、旧東京8区(台東、中央、文京区)から衆議院議員に選出。4回当選し、外務政務次官、環境庁長官を務めた。
江戸の歴史と文化が産業・経済につながる。

ー 地方議会での経験で印象に残っている出来事は何ですか。
区議時代で印象深いのは、当時の内山 栄一区長が進めた文化行政です。約40年前、東京藝術大学内の「旧東京音楽学校奏楽堂」が老朽化し、愛知県の明治村へ移転する計画が持ち上がりました。しかし、作曲家の黛 敏郎さんや芥川 也寸志さんが「博物館ではなく、生きたコンサートホールとして残したい」と強く要望。内山区長はそれに応え、上野公園への移築を決断したのです。
私は当時副議長でしたが、移転復元に約6億円、そのうちパイプオルガンの修復に約1億円という予算は一般財源としては非常に大きく、議会でも議論になりました。しかし、行政だけでなく民間や地域の皆さんが立ち上がって寄附を集めたことで、昭和62年に移築が実現したのです。のちに国の重要文化財にも指定されました。この経験から、地域と一体となって進める文化行政の重要性を学びました。
台東区は観光のまちですが、私はいつも「観光の前に、まず文化があるんですよ」と言っています。文化があって、観光があり、それが産業や経済につながっていくと信じています。
ー 都議時代は石原 慎太郎さんが知事でした。
平成11年の都知事選で石原知事が誕生したのと同じ時期、私も補欠選挙で都議会議員になりました。“東京から日本を変える”という気概に共感し、ディーゼル車の排ガス規制や東京マラソンの開催、実現しませんでしたが最初の東京オリンピック招致など、先駆的な取り組みに参画しました。その貴重な経験を今に活かし、私も行政のトップとして、“台東区から東京や日本を変えていく”という気概を持ち続けています。

ー 地方議会での経験で印象に残っている出来事は何ですか。
区議時代で印象深いのは、当時の内山 栄一区長が進めた文化行政です。約40年前、東京藝術大学内の「旧東京音楽学校奏楽堂」が老朽化し、愛知県の明治村へ移転する計画が持ち上がりました。しかし、作曲家の黛 敏郎さんや芥川 也寸志さんが「博物館ではなく、生きたコンサートホールとして残したい」と強く要望。内山区長はそれに応え、上野公園への移築を決断したのです。
私は当時副議長でしたが、移転復元に約6億円、そのうちパイプオルガンの修復に約1億円という予算は一般財源としては非常に大きく、議会でも議論になりました。しかし、行政だけでなく民間や地域の皆さんが立ち上がって寄附を集めたことで、昭和62年に移築が実現したのです。のちに国の重要文化財にも指定されました。この経験から、地域と一体となって進める文化行政の重要性を学びました。
台東区は観光のまちですが、私はいつも「観光の前に、まず文化があるんですよ」と言っています。文化があって、観光があり、それが産業や経済につながっていくと信じています。
ー 都議時代は石原 慎太郎さんが知事でした。
平成11年の都知事選で石原知事が誕生したのと同じ時期、私も補欠選挙で都議会議員になりました。“東京から日本を変える”という気概に共感し、ディーゼル車の排ガス規制や東京マラソンの開催、実現しませんでしたが最初の東京オリンピック招致など、先駆的な取り組みに参画しました。その貴重な経験を今に活かし、私も行政のトップとして、“台東区から東京や日本を変えていく”という気概を持ち続けています。
中小企業の海外販路開拓と“花の心”育成に力。

ー 区長として特に力を入れてきた政策は何でしょうか。
台東区は中小企業のまちです。靴、カバン、ファッション雑貨、玩具、ジュエリーといった地場産業や、江戸時代から続く伝統工芸が区の産業を支えています。
就任以来、これらの製品の海外販路開拓に力を入れてきました。東京都と連携し、タイのバンコクで開かれた国際展示会に出展したのが大きな一歩でした。合羽橋の「TAKASO(高橋総本店)」の手動式かき氷機を持っていったところ大評判になり、今ではバンコクやベトナム、香港に販売網を広げるまでに成長しています。
また、東上野にある江戸時代の技術を受け継ぐ「箱義桐箱店」の桐箱は軽くて扱いやすいとSNSで話題を呼び、タイに3カ所、シンガポールに2カ所の取引店舗を展開しています。和食器などは、合羽橋から北米やヨーロッパへ盛んに輸出されており、靴づくりでも、浅草の技術やデザインは世界のトップクラス。高付加価値化と国内外の販路拡大を引き続き支援していきます。
ー 観光分野への対応も重要ですね。
台東区には、年間4,000万人、うち海外から640万人(令和6年度)の観光客が訪れています。観光消費額は約4,000億円で、おかげさまで年々増加しています。地域の方々はウェルカムな姿勢で接してくださっていますが、住環境との調和は不可欠です。今定例会(令和8年第2回定例会)で、民泊条例と旅館業法の施行条例の改正をしました。
ごみのポイ捨て問題については、文化の違いを埋める取り組みを進めています。外国の方を対象に、浅草周辺で朝にごみを拾ってから銭湯に入る「ゴミ拾い体験ツアー」や、忍者の格好をしてごみを拾うパフォーマンスを実施しました。それがSNSで拡散されることで、日本ではごみを持ち帰るのがマナーだという啓発につながっています。カートを引いて、マナー啓発をしながらごみを回収してもらう「たいとうクリーンアップカート」事業も予定しており、行政の分野を横断して、「区民生活と調和した観光地づくり」を一層進めています。
ー 「花の心プロジェクト」に力を入れているとお聞きしました。
平成28年に「花の心 たいとう宣言」を制定し、四季折々の花でまちを彩り、「花の心」で心豊かな、潤いのあるまちづくりを進めてきました。例えば道路の植栽はごみ捨て場になりがちですが、花を植えるとごみが捨てられなくなり、地元の皆さんから喜ばれます。花にはそういう力があるんです。さらに知育・体育・徳育・食育に加えて“花育(はないく)”を提唱しています。子どもたちが朝顔などを育てる中で、きれいに咲いた喜びや、うまく咲かなかったときの気持ちを体験し、命の大切さや慈しみの心を自ら学びます。“人は花を育て、花は人を育てる”といわれます。この取り組みを通して、より良い地域社会を形成していきたいと願っています。
世界遺産の活用と「こどもまんなか社会」の実現。

ー 歴史や文化財を活かした取り組みも盛んです。
平成28年、上野の国立西洋美術館が東京で初の世界文化遺産に登録されました。行政、議会、商店街・地域の皆さんが一体となって続けた誘致活動の成果です。
建築作品としての価値はもちろんですが、私はその中にある「松方コレクション」も世界遺産と同じぐらいの価値があると思っています。実業家の松方 幸次郎さんが収集し、パリに残していた名画の数々。戦後、フランス政府からこれらが返還される際、“作品にふさわしい美術館をつくること”という条件が出されました。 国の予算では足りず、経済界や美術界が資金を提供したり、寄附を募ったりして完成したのが現在の美術館なのです。
令和8年は世界遺産登録10周年を記念し、地域と一体となって年間を通じた事業を展開しています。
ー 文学やエンターテインメントとの連携は。
令和5年には浅草生まれの作家・池波 正太郎さんの生誕100周年にあわせ、「鬼平犯科帳」など代表作ゆかりの場所に高札型案内板を立てました。ファンの方々が登場人物になった気持ちでまちを巡ることができます。
令和7年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 」の主人公・蔦屋 重三郎も浅草・上野にゆかりの人物。区内の商工会議所と連携して活用推進協議会を立ち上げ、その取り組みによる経済波及効果は約35億4,000万円、パブリシティ効果は約10億8,800万円、来訪者は約26万7,000人と推計されています。
ー 今、最も力を入れている政策をお聞かせください。
まず、「こどもまんなか社会」の実現です。学校給食食材費の支援や保育料の無償化などを進めてきましたが、今年度新たに「こども家庭部」を設置しました。区民部や教育委員会に分かれていた窓口を一つに集約したのです。修学旅行等宿泊行事費用の支援を拡充したほか、区内の高校生相当年齢までを対象に、「旧東京音楽学校奏楽堂」「朝倉彫塑館」「したまちミュージアム」「一葉記念館」「書道博物館」の区立文化施設5カ所の入館料を無料化しています。子どもの頃から台東区の本物の文化に触れてほしいという願いです。「こどもの権利条例」の制定も予定しており、子どもたち自身の意見を取り入れたルールづくりを進めています。
ー 「べらぼう」で脚光を浴びた北部地域のまちづくりはいかがですか。
浅草北部地域への回遊性を高め、にぎわいを創出することがもう一つの柱です。4年前からリノベーション型のまちづくりを進めています。物件の改修経費助成などを行う「リノベーションパートナー制度」を創設し、若い世代に訪れてもらえる情報発信を強化しています。 多世代交流の拠点を整備する計画も進行中で、海外からの宿泊客も増え、新たな活気が生まれています。

ー 歴史や文化財を活かした取り組みも盛んです。
平成28年、上野の国立西洋美術館が東京で初の世界文化遺産に登録されました。行政、議会、商店街・地域の皆さんが一体となって続けた誘致活動の成果です。
建築作品としての価値はもちろんですが、私はその中にある「松方コレクション」も世界遺産と同じぐらいの価値があると思っています。実業家の松方 幸次郎さんが収集し、パリに残していた名画の数々。戦後、フランス政府からこれらが返還される際、“作品にふさわしい美術館をつくること”という条件が出されました。 国の予算では足りず、経済界や美術界が資金を提供したり、寄附を募ったりして完成したのが現在の美術館なのです。
令和8年は世界遺産登録10周年を記念し、地域と一体となって年間を通じた事業を展開しています。
ー 文学やエンターテインメントとの連携は。
令和5年には浅草生まれの作家・池波 正太郎さんの生誕100周年にあわせ、「鬼平犯科帳」など代表作ゆかりの場所に高札型案内板を立てました。ファンの方々が登場人物になった気持ちでまちを巡ることができます。
令和7年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 」の主人公・蔦屋 重三郎も浅草・上野にゆかりの人物。区内の商工会議所と連携して活用推進協議会を立ち上げ、その取り組みによる経済波及効果は約35億4,000万円、パブリシティ効果は約10億8,800万円、来訪者は約26万7,000人と推計されています。
ー 今、最も力を入れている政策をお聞かせください。
まず、「こどもまんなか社会」の実現です。学校給食食材費の支援や保育料の無償化などを進めてきましたが、今年度新たに「こども家庭部」を設置しました。区民部や教育委員会に分かれていた窓口を一つに集約したのです。修学旅行等宿泊行事費用の支援を拡充したほか、区内の高校生相当年齢までを対象に、「旧東京音楽学校奏楽堂」「朝倉彫塑館」「したまちミュージアム」「一葉記念館」「書道博物館」の区立文化施設5カ所の入館料を無料化しています。子どもの頃から台東区の本物の文化に触れてほしいという願いです。「こどもの権利条例」の制定も予定しており、子どもたち自身の意見を取り入れたルールづくりを進めています。
ー 「べらぼう」で脚光を浴びた北部地域のまちづくりはいかがですか。
浅草北部地域への回遊性を高め、にぎわいを創出することがもう一つの柱です。4年前からリノベーション型のまちづくりを進めています。物件の改修経費助成などを行う「リノベーションパートナー制度」を創設し、若い世代に訪れてもらえる情報発信を強化しています。 多世代交流の拠点を整備する計画も進行中で、海外からの宿泊客も増え、新たな活気が生まれています。
“団結するDNA”が職員の中に息づく。

ー 組織のトップとして職員に求めることは何ですか。
大切にしているのは“現場第一主義”です。行政の課題は現場にあり、解決のヒントも現場にあります。私自身、区議時代から区民や現場の職員の声を直接聞くように努めてきました。
職員提案制度もその一環です。毎回多くの応募があり、実現したものも数多くあります。
家族を亡くされたご遺族に必要な行政手続きをご案内する「おくやみコーナー」や、「AI議事録作成システム」の導入が職員の発案で実現しました。
ー 今後新たに求められる資質はありますか。
DXに対応できる力は強く求められていると思います。新しい技術や仕組みを柔軟に取り入れながら、より質の高い行政サービスを提供していく。その一方、行政の原点である人と人とのつながりも忘れてはなりません。区民の皆さんと直接向き合い、対面・対話を通じて信頼関係を築いていく姿勢は変わらず重要です。
職員に伝えたいのが“本(もと)を忘れず、末(すえ)を乱さず”(※)という言葉です。基本をしっかり固めた上で業務に取り組み、将来を見据えてバランスの取れた運営を図る。変化に対応すると同時に、区民に寄り添う姿勢を大切にする。長期的な視点で行政を支えることを職員の皆さんに期待しています。
ー 休日は何をして過ごしますか。
台東区はイベントが多いので休日はほとんどないです。時間が取れるときはまちを歩き、上野の文化ゾーンにある美術館や博物館などで、歴史・文化を楽しんでいます。
ー 座右の銘は何でしょうか。
“不易流行”です。時代が変化しても変わらない本質を大切にしつつ、新しいものを柔軟に取り入れていく。デジタル化が進む中でも、人と人とのつながりという行政の原点は忘れてはなりません。
実は、浅草のひさご通りにある「江戸たいとう伝統工芸館」には、私がこの「不易流行」を揮毫(きごう)した書があります。江戸の技を受け継ぐ職人さんからの依頼で書いたものですが、現代のビジネスや行政においても、普遍的に通じる考え方ではないかと思っています。変えるべきものと守るべきものを見極めながら、区政運営に取り組んでいきたいと考えています。
ー 最後に台東区の魅力と区役所の自慢をご紹介ください。
台東区はかつて江戸文化の中心地でした。当時の江戸は100万都市で、識字率は世界の中でも特に高かったと聞きます。資源の再利用や省エネなど循環型社会が形成され、SDGsを先取りしていたともいわれます。本当に先進的な都市だったんです。265年間も平和が続いたから、経済や文化が発展し、人々の心も豊かに育まれたんですね。
こういった背景があるので「江戸ルネサンス」と名付けて歴史や文化の魅力発信事業に取り組んできました。先人によって築かれた多彩な文化が台東区のアイデンティティだと思います。発展を支えてきた原動力です。それが一番の魅力ですね。
区役所の最大の自慢は、職員の力とチームワークです。それを強く感じたのはコロナ禍でした。国も都も体制が整わない中、職員は部局の垣根を越えて協力し合い、軽症者用の宿泊療養施設をいち早く立ち上げました。ワクチン接種では大型の接種会場を確保し、都内でも上位の接種率を実現しました。患者の搬送を担う救急隊員に、ワクチンを優先して接種する独自の仕組みも迅速に構築したのです。
全く違う部署の職員が自主的に連携し、夜通し手伝ってくれた献身的な姿勢は、深い感謝の念とともに胸に刻まれています。お祭りが多い台東区ならではの“団結するDNA”が、職員にも息づいているのだと思います。
※「本を忘れず、末を乱さず」 戦後の生活改善運動で知られる福岡県豊前市出身の教育者、丸山 敏雄の言葉。物事の始まりを大切にし、締めくくりまでやり遂げる重要性を説いている。
















