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【区長の本音<16>豊島区長・高際 みゆきさん】区民の声と弱者目線で“豊島村”をつくる。

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【区長の本音<16>豊島区長・高際 みゆきさん】区民の声と弱者目線で“豊島村”をつくる。

区長公選制復活から半世紀、基礎的な地方公共団体となって25年という大きな節目を令和7年に通過した東京23区。そんな日本の首都を支える区長の皆さんの素顔と“本音”をご紹介する連続インタビューの16回目は、豊島区・高際 みゆきさんが登場。民間企業から都庁を経て区長に就任した経緯や、弱者に寄り添う行政のあり方、区民本位の区政運営などについてお話をうかがった。

※記事の掲載情報は公開日時点のものです。

民間での経験から“ユーザー本位”を学ぶ。

ー まず高際さんが区長になられた経緯をお聞かせください。

私自身、政治家になるとは考えていませんでした。都庁に25年間勤務し、定年まで働くつもりでしたが、ある日突然、豊島区に副区長として赴任する辞令が下りました。

当時、小池 百合子知事の秘書をしていましたが、前区長の高野 之夫さんから小池知事に「現役の女性部長で、福祉や教育に強い人を送ってほしい」と要望があったのです。現職の都職員が副区長として派遣されるのは前例がありませんでした。私が着任したのは、ちょうどコロナの感染が拡大していた令和2年のこと。2年で都庁に戻ると思っていましたが、コロナ対策を担当していたので1年延長となり、3年間副区長を務めました。そのタイミングで高野さんが体調を崩され、都庁に戻る直前に「次の区長をやってくれませんか」というお話をいただいたのです。選挙なんて異次元の世界なのでお断りしていましたが、高野さんが体調の悪い中で「豊島区をお願いできないか」とおっしゃるのでお引き受けしたのです。高野さんが息を引き取られたのは、その直後のことでした。

ー 大学卒業後は民間企業にお勤めでした。都庁に入られた経緯は。

最初に就職した「サントリー」は、創業者・鳥井 信治郎さんの言葉「やってみなはれ」が企業精神で、若い人たちも色々やらせてもらえる会社でした。働いていて面白く、居心地も良かったので、そのままサントリーで定年を迎えていたかもしれません。一方、私に限らず、女性は30歳を前にしてその後の人生を考えるのではないかと思います。このままサントリーで宣伝や商品開発に進むのか、あるいはほかの道を目指すのか。そのとき、私はおばあちゃん子だったこともあり、高齢者がいつまでも元気で、大好きな地域で暮らし続けてほしい、福祉政策に携わりたい、と思ったのです。

実はわが家は、祖父も両親も弟も“公務員一族”で、みんな私を公務員にさせたくて仕方がなかったようです。ある日、残業を終えて家に帰ると、東京都の広報紙の“経験者採用”の切り抜きがテーブルに置いてありました。ちょうど1年前に、都庁で初の経験者採用が始まったんです。対象要件もバッチリでした。それを見たとき、点と点が線としてつながって、“あ、これだ、やってみよう”と思いました。

首長となった今でも政治家というより、行政の一員として区民のために働いている感覚ですし、行政の長としてやるべき仕事ができるという意味では、理想の仕事に就けたのかなと思います。

ー 民間企業でのご経験は区長としての仕事に活かされていますか。

最初は東京都立川市にある営業支店に配属されました。月末、目標を達成するため、最後に営業担当が“何ケース契約が取れました!”と駆け込んでくるような、体育会系の職場です。私も酒屋さんから電話で怒鳴られたり、お叱りを受けたりする日々でした。これが社会人の第一歩で、お客様の声を大事にして、どうすれば応えられるのかを考える姿勢が身につきました。豊島区に来たとき“区民の声を聞くんだ”と考えたのは、その影響だと思います。

その後、宣伝部でビールを担当したときは週末にコンビニをまわり、どうすればうちのビールが売れるのか、どういうPOPを置けば目を引くんだろうと頭を悩ませました。当初はかっこいいコピーや広告を発信することが大事だと思っていましたが、どれだけかっこよくても、届けたい相手に伝わらなければ意味がないんですね。

高齢者支援を一生懸命やっても、高齢者一人ひとりが“自分のためのメニューが色々あるんだ”と分かっているかどうかが大事。分かりやすいパンフレットを今年初めにつくりましたが、つくるだけではなく、直接伝えることで初めて届く。我々がまちに出て、直接お伝えしていこうと思っています。こういった点でもサントリーでの経験は、私の血となり肉となっています。

「法テラス」での経験が区政運営の原点。

ー 都庁でのご経験で、特に印象に残っている出来事はありますか。

「法テラス(日本司法支援センター)」の設立時に、犯罪被害者支援課長として派遣された経験です。開設直前に予定されていた方がやめてしまい、急きょ行くことになったのです。全国50カ所の地方事務所で、3カ月後に犯罪被害者支援を始めなければいけないというタイミングでした。

当時、犯罪被害者の側に立って支援する仕組みは、国としても画期的なことだったと思います。犯罪で家族を失ったご遺族や、DV被害者のシェルターを運営する支援団体などからたくさんのお話を聞きました。そして、どういう支援が犯罪被害者や遺族のためになるのかを考えて事業を設計しました。

3年間勤務しましたが、弱い側の目線に立つという意味で、それ以降の仕事の絶対的な“根っこ”になっています。その後、福祉の仕事も担当しましたが、児童や高齢者への虐待、障害者差別は絶対許せないという思いで今もやっています。区長になった時には「犯罪被害者支援条例」をつくりたいと思い、昨年実現しました。

また、様々な課題を抱える子どもたちには、自分の言葉で意見を言っていいんだよと伝えたい。どんな小さな声でも私たちが必ず拾うと思っていますし、職員もその思いを共有してくれています。

ー 「子どもレター」はその延長でしょうか。

「子どもレター」は、区長に就任してすぐに始めた事業です。大人は行政への意見箱やメールで声を寄せてくれますが、子どもたちは書いてくれません。そこで、職員が作った可愛い便せんに、困っていることを書いて折りたたむと封筒になる用紙をつくり、子どもが集まる場所に専用ポストを置きました。区内約120カ所に設置しており、これまで累計1005通のお手紙が届いています。

届いた手紙にはすべて返信します。可愛らしい便せんと封筒を用意し、最後に私がサインをします。大変な作業ですが、この取り組みが職員の学びの場にもなっています。

例えば“自転車に乗る練習がしたいです”という手紙が来ます。このとき、経済的に厳しくて自転車を買ってもらえないのかもしれない、お父さんやお母さんが夜遅くまで仕事をしていて練習に付き合えないのかもしれない、学校でいじめられて表に出られないのかもしれない……そんな背景を想像して返事を書く。これが区民目線につながります。

最初の頃の下書きには“財政的なこともあるので検討します”と書いてあったので、「これはダメよね」と戻しました(笑)。“カーブミラーが見えにくくて怖い”といった声が来たら、すぐに直して“直したよ”と返事します。中には“ゲームセンターがほしい”といった、区では応えられない要望もある。その場合は“ゲームセンターじゃないけど、放課後児童クラブで面白いゲームをやっているので行ってみてね”と返します。

大人からの声に対しても“貴重なご意見ありがとうございました”では、何も答えたことにはなりません。従来は職員もそのように訓練されてきたと思いますが、区民からの声にできるかぎり可能な対応を考えていきたい。その意味で、本当に子どもたちに鍛えられているなと思います。

※「法テラス」は日本司法支援センターの登録商標

職員、区民、民間と声を共有する“核”に。

ー 区長に就任されて3年半が経過しました。区長とはどういう仕事だとお感じですか。

人と人をつなぎ、未来につなげる仕事”でしょうか。まずは区民の声を聞く仕事です。もしかすると、区長なんて見たこともないし、一番遠い存在と思われているのかもしれません。しかし、一番近い存在として区民の声を聞き、職員と共有して、区民の願いを確実にかなえていく主体であるべきだと思います。

区長は最終的にこれをやる、やらないというのを決める重い責任を持っています。ですから区民の声に敏感でありたいし、それを職員に伝える責務があります。そして関係団体にも伝える必要がある。コロナ以降、行政が抱える課題も変化しており、区役所だけでできることは本当に限られていると感じています。

先日、官民連携でフードバンクを立ち上げましたが、これは行政だけでは絶対に成し得ません。支援団体や学校や様々な企業の協力が不可欠。区民の声を様々な団体に伝える、そして団体からの声も聞く。みんなで声を共有する“核”になりたいですね。

もちろん職員も区民の様々な声を聞いてくれています。よく「私に負けないで区民の声を聞いて」「まちに出て」とお願いしています。区民にとっては区役所って“アウェイ”ですから、こちらが区民の“ホーム”に出て行かなければ、区民の声、特に声なき声は聞き取れません。だから職員には「お互いに勝負ね」と伝えています。

ー 区長として特に力を入れてきた政策分野はありますか。

まずは、子ども政策です。新たな子ども・若者の居場所として、令和8年7月に「IKEROOT(イケルート)」を開設しました。保健所が移転した跡地を活用して、1階は勉強や悩み相談、ゆっくりできるスペース、2階は壁をなくして“アーバンスポーツの聖地”として整備したのです。「子どもレター」などで寄せられた声の集大成です。

次に、副区長時代から手掛けてきた、若い女性を支援する「すずらんスマイルプロジェクト」があります。コロナ禍の時、居場所をなくした中高生の女の子の自殺が多いというニュースを聞いてはっとしました。行政は子どもや子育て家庭を支援してきましたが、中間の若い子たちの支援はやってこなかった、と気づいたのです。

女の子の側も“行政なんて関係ない”と考えがちですが、トー横キッズの問題のように、だまされたり搾取されたり様々な課題がある。そこで若年女性支援を開始し、まず生理用品の無償配布を開始しました。彼女たちは心や体が傷ついていても、役所の窓口には相談に来ません。だから草の根で活動する民間支援団体から役所へとつないでもらうルートをつくりました。窓口では、何も言わずにスマホの画面を見せるだけで、可愛い袋に入った生理用品と相談の案内をお渡しする工夫をしています。

DV被害者支援でも、よくトイレの個室に相談案内のカードが置いてありますが、出たときにカードを持っていると“あの人は被害者なのか”と思われてしまうと、女の子たちから聞きました。そこで相談窓口の案内を別のサイズで高校生につくってもらい、“支援”という印象を与えないデザインに刷新しました。このプロジェクトは福祉・女性支援部門に限らず横串で、現在は男性職員も入って部局横断の約80人で活動しています。この「すずらん」がお手本となり、いまは様々な課題対応にあたり、他部署と一緒に考えることが区役所の仕事の大前提になっています。

ー 女性首長としての視点が活きています。23区の区長も女性が増えました。

いいことだと思います。23区の女性区長は現在7人ですが、1人の時期が長く続きました。例えば円卓会議に女性1人だったらどうでしょう。やはり7人いることで、雰囲気を変える力がある。23区の特別区長会も女性はまだ3分の1ですから、もっと増えて半分程度になってもいいと感じています。

前例にとらわれず、現場の提案から議論を。

ー 常勤職員約2,200人のトップとして心がけていることをお聞かせください。

職員と議論したいですね。上から“こうやりなさい”ではなく、現場からこれをやりたい、こう変えたいと、どんどん提案してほしい。

私は区民の声を聞いて何をやるべきか考えますが、自分だけでは決められません。まちづくりでも文化政策でも保健・医療でも、それぞれ責任を持ってやっている職員がいます。それぞれが区民の声を聞き、その分野については誰よりも考えている、という状態になることを期待しています。

管理職が一番詳しいとは限らないため、私に説明するときは「若手職員も一緒に来てください」と伝えています。なぜなら、日々区民と接する若手ならではの気づきがあると思うので。そして生の声で“こういうことが必要なんです。なぜならばこういうデータがあります”と伝えてほしい。そうやって現場からどんどん提案・議論して決めていく組織にしたいですね。

ー 「理想の職員像」についてお聞かせください。

前例踏襲ではダメ、ということ。過去の経緯を確認することは重要ですが、基本はゼロベースでまずやってみようということです。サントリーの「やってみなはれ」の精神でしょうか(笑)。

まずは自分でしっかり考えてほしい。区民の声や地域の企業・団体の声、隣の部署の情報も集めて、一番いい案を自分の頭で考えてほしい。その上で、これをやりたいと持ってきた提案であれば、じゃあちょっとやってみようよと背中を押してあげたいと思っています。

これだけ世の中が変化する中で、行政だけが前例踏襲で動いていたら、時代遅れの役に立たない存在なってしまいます。多少の失敗は軌道修正すればいい。私自身も失敗を重ねてきました。失敗してガーンと落ち込んだ後に、底を蹴ってもう1回頑張るぞという気持ちこそが、人を強く成長させると信じています。

まちを一丸とする仕事に誇りを持って。

ー 読書と映画鑑賞がご趣味とお聞きしました。休日は何をして過ごしていますか。

区長になってから、なかなか本は読めていないですね。区民の皆さんから色々な声を聞いていますが、自分自身へのインプットが枯渇しているという危機感があります。本を読むだけではなく、映画を見たり美術館に行ったり、魂へのインプットをしたいですね。豊島区は映画館も、小劇場も多いので、できるだけ足を運びたいと思っています。

ー 座右の銘はありますか。

「逃げない、はればれと立ち向かう、それがぼくのモットーだ」。芸術家・岡本 太郎さんの言葉です。この言葉と出会った時に“これだ”と思いました。私はまさにこういう思いでやってきたなと思うのです。

“逃げない”という点では、考えた上で撤退する、選ぶ道を変えることはあっても、プレッシャーなどを理由に逃げる、ということは絶対にしないつもりでやってきました。“立ち向かう”という点では、私も都庁の職場で様々な場面を経験しましたが、それはいい仕事をするために戦いを挑むわけです。だから“はればれ”と立ち向かう。その代わり、組織として方向が決まったらアレコレ言わずにチームワークでやりましょう、ということです。

現実には、立ち向かわずに逃げてしまう、あるいは後で愚痴を言うことになりがちです。この言葉とは逆ですね。だからこそ、この言葉をモットーにしています。

ー 最後に、豊島区の魅力と区役所の自慢についてお聞かせください。

豊島区は文化を大事にしてきました。アニメや演劇などの土壌があり、文化事業のみならずまちづくりにも文化の視点を活かす。福祉も子育て支援も教育も“文化の目”を持って進めていく。どんな子もどんな大人も、自分が主役になれる場をつくっていくというのが目指すところです。

そして温かい地域性があります。私が副区長として来た時、“ここは村か”と思ったんですよ(笑)。区民の皆さんが熱血なんですね。こんなにお祭りがあるんだ、こんなに子どもが中心なんだ、いい意味で“村”だと感じたんです。そこにアニメのまち、演劇のまち、音楽のまち、などの要素が加わって、文化の力、人間の力でみんなが一体になれる。本当にいい意味で“豊島村”だと思っているんです。

だから区民との距離が近いです。〇〇町会の〇〇さんというだけで、庁内で話が通じます。そして区民からは、やりたいことに対する思いがあふれている。それを受け止めることができる、思いに応えることができる、そんな区役所でありたいですね。

だから職員も“村の役場の人間”として“豊島村”を支えてほしい。庁内が一丸となり、まち全体を一丸とする仕事に、誇りを持ってほしいなと思います。