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【区長の本音<11>板橋区長・坂本 健さん】子育てと文化で「住みたくなるまち」をつくる。

防災・危機管理
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【区長の本音<11>板橋区長・坂本 健さん】子育てと文化で「住みたくなるまち」をつくる。

令和7年は、東京23区の区長公選制が復活して半世紀、都区制度改革により「基礎的な地方公共団体」と認められて25年の節目にあたる。日本の首都を支える区長の皆さんの素顔と「本音」をご紹介する連続インタビュー11回目は、板橋区長の坂本 健さんが登場。民間での経験を活かし、安心・安全で「東京で一番住みたくなるまち」を目指す区政運営についてうかがった。

※インタビュー内容は、取材当時のものです。

設計と福祉分野の経験を区政に活かす。

区長になられた経緯をお聞かせください。

区長になる前は東京都議会の議員でした。平成177月に初当選し、そこから区長選挙までは18カ月ほどの非常に短いスパンでした。

都議になったばかりですから、当初は区長になることは考えていませんでした。ただ、前区長の石塚 輝雄さんが当時引退を表明しており、地域や区議会議員の方々から「議員経験の短さは問題ではない。むしろ民間での経験を行政トップとして活かすべきではないか」と立候補を勧めていただいたのです。

当時、私は、介護老人施設や幼稚園の経営に携わっていました。その前は設計事務所に勤め、物事を決定し、デザインをつくる仕事をやってきました。千葉県の幕張メッセ新都心のまちづくりでは経営者の方々と接し、大きなビジョンを掲げ、長い時間をかけてまちをつくる姿を見てきました。人々の安全、生活、福祉、教育をトータルに考える視点は行政トップに通じます。自治体との仕事を通じて行政のインサイドワークにも触れており、その経験を区政に活かせると考えて出馬を決めました。

― 幕張でのお仕事についてお教えください。

幕張のプロジェクトは鉄鋼、建設、エネルギー、商社の超大手企業が進めていました。私は30歳前でしたが、プロジェクトリーダーとして設計に携わりました。ブティックが予定されていた場所が突然、牛丼のチェーン店になるなど急な変更も多く、スピード感を持った対応はあの時、身につきましたね。そういった経営の組み立ては建築で決まる部分があり、経営側からも信頼を得て、途中からはどんどん任せてもらえました。

その後、福祉分野に転身されました。

平成11年に設計事務所を退職し、介護老人施設の開設準備と経営に携わりました。翌年に介護保険制度が始まり、措置制度から社会保険方式へと大きな転換が起きました。設計事務所時代に病院や老人保健施設を手がけた経験が、介護施設の運営にも活かせたと感じています。その頃、大学院の博士課程で福祉工学を学び直したことも貴重な経験です。

― 都議時代には耐震偽装問題(※)がありました。

都議になった直後の平成1712月に、いわゆる「姉歯事件」が起きました。私は新人議員でしたが、都議会自民党の幹事長から「この問題は建築設計をやっていた坂本さんに任せます」と話があり、最初の質問に立ちました。構造設計者の制度的・法的な位置づけと権限・責任の明確化、複数技術者によるダブルチェック、耐震診断の必要性などを提案し、入居者の方々には都営住宅などを斡旋して安全を確保するべきだと提言しました。

耐震偽装問題 平成17年に発覚。建築士らが耐震基準を満たさない建物の構造計算書を偽装した不正で、建築確認制度や監督体制の不備が社会問題化。発覚元の設計事務所名から「姉歯事件」とも呼ばれる。

大震災前に耐震化。危機管理が未然の備えに。

― 就任18年半の経験から見て区長とはどういう仕事ですか。

求められるのはリーダーシップ、コミュニケーション能力、ビジョンと戦略の立案、誠実さと倫理、そして大事なのは危機管理です。

就任1年後の平成20年5月に中国で四川大地震(※)がありました。学校の床が抜けて多くの子どもたちが犠牲になった映像を見たとき、「板橋は大丈夫か」と思いました。私は「安心・安全ナンバーワン」をマニフェストに掲げており、直感的に危機感を覚えたのです。

学校施設約300棟を調べたところ、耐震化率は54%ほどでした。早期に耐震化を進めようと職員に相談しましたが、最初は「財政が厳しいためできません」と断られました。しかし地震は明日来るかもしれません。任期内の3年で耐震化を進めると宣言し、54%を100%にするべきだと議会に働きかけました。様々な設計事務所や特殊な工法をもつ施工業者と協議し、結果的に2年半後に耐震化が完了しました。東日本大震災が起きたのは、そのすぐ後です。

― 区役所庁舎の耐震性はいかがでしたか。

当時の区役所の南館は昭和37年の建物で、Is値(構造耐震指標)が0.11でした。震度6以下でも壊れてしまいます。財政が厳しく一度は計画を止めましたが、1期目の任期末に財政面のめどが立ち、東日本大震災の1週間前に引っ越しを終えて、空の状態になったところでした。偶然ですが、備えというのはやはり重要だと思いました。南館はその後4年間で完成させることができました。

― 区長としてもっとも印象的なできごとは。

東日本大震災への対応です。当時、多くの帰宅困難者が区内を通りました。板橋は中山道と川越街道の分岐点で街道文化があり、区民は知らない人にも声をかけて水やトイレを提供したと聞いています。発災時、私は防災センターにいましたが、想定外の場所に被災者が集まり、避難所の開設を求める状況でした。開設を求めるお声があれば職員を自転車で現場に向かわせ、正式な一時避難所にしました。職員にはかなり頑張ってもらいました。

被災地支援では岩手県大船渡市を担当し、ゴールデンウィーク前に第1陣を派遣しました。現地は電気が止まり、水産加工場の海産物が腐敗して異臭に包まれる状況でしたが、若手職員に派遣をお願いすると多くの手が上がりました。今の幹部職員の多くは現地に行っており、その後の業務にもこの経験が活きています。大船渡市とは、復興支援を通じて締結した連携協力協定をもとに、その後10年以上にわたり特別な友好関係が続いています。

四川大地震 平成20年5月、中国四川省で発生したマグニチュード7.9(米国地質調査所発表)の巨大地震。甚大な被害をもたらし、死者・行方不明者は約9万人に及んだ。

子育て支援と絵本ブランドで「選ばれるまち」。

「東京で一番住みたくなるまち」を目標に掲げています。

「住みたくなる」とは、板橋区を外から見たときに魅力的で生活しやすい、買い物も子育てもしやすいまち、ということです。若い世代の方に選んでいただけるまち、結婚・子育て・教育というライフプランにこたえられるまちづくりが必要です。

子育て支援については、日本経済新聞社と日経BP「共働き子育てしやすい街ランキング2024」で、全国3位、都内1という高い評価をいただきました。

例えば児童館は平成28年度から「子育て応援児童館CAP'S(キャップス・Children And Parents’ Station)」としてリニューアルしました。0歳児や妊娠中のお母さんまで利用ターゲットを広げ、「区民が歩いて行ける範囲」を基準に整備しました。

また、小学1年生から6年生まで全児童が放課後の居場所として学校を使える環境「あいキッズ」を整備し、区長2期目の終わり頃にはほぼ完了しました。こうしたサービスも「住みたくなるまち」の大事な要素と思います。

「絵本のまち板橋」としてのブランディングを進めています。

区の文化的な資産と基盤を、区民の誇りとまちの持続的な発展につなげたいと考えています。板橋は国内有数の印刷・製本の集積地で、絵本を生み出す技術と歴史があります。こうした環境は、子どもたちの感性やグローバルな視野を育むことにつながります。「絵本のまち板橋」ブランドは、選ばれるまちであり続けるための最重要戦略です。

区立美術館では昭和56年以来、ボローニャ国際絵本原画展を開催しており、「いたばしボローニャ絵本館」には世界100の国と地域、80言語、3万冊の外国の絵本が所蔵されています。絵本館は中央図書館の1階に位置し、平和公園と一体化しています。子育てにも非常に優しい環境で、年間90万から100万人に来ていただいています。

― 「板橋こども動物園」は令和7年度の「グッドデザイン賞」を受賞しました。

私自身実家が農業を営んでいて、家畜もいました。こども動物園も、人とともに暮らす動物が多いのです。こども動物園は、動物と触れ合えるだけでなく、草屋根や壁面緑化など、動物にとっても居心地のよい施設をめざしました。動物にも性格やストレスがあり、それを感じられるのは子どもたちにとって重要な施設だと思います。

また、小学3年生から中学生までを対象とした「こども動物クラブ」があり、子どもたちは馬の居場所を掃除したり、餌の下ごしらえをしたりと、スタッフとしての仕事を体験します。このような活動から、学校になじめなかった子が、自分らしさを取り戻した例もあり、大事な居場所になると思っています。こうした点もグッドデザイン賞の受賞につながったと思います。

「挑戦」と「チェック」の分担が重要。

― 職員のトップとして心がけていることをお教えください。

私と職員の皆さんが同じ課題意識を持ち、同じ姿勢を持って取り組んでいくことが重要だと思っています。建築の仕事では、象徴的なイメージを描いた上で「このビジョンに向かうんだ」という感覚が大切です。区政運営でも、ビジョンを共有しながら職員に手本を示し、能力を最大限に引き出したい。信頼関係の構築と、適切な目標設定・業務分担・人材配置を心がけています。困難な状況も決断力で乗り越え、誠実なコミュニケーションを図ることが重要と考えます。

― 職員に求める資質や理想像をお聞かせください。

時代の変化への対応力、多様性を受け入れられる姿勢、人間性への共感力です。大事なのは区民といかに対話ができるか。コミュニケーション能力とともに、問題解決を諦めずに続ける姿勢と誠実さが求められます。

現代において特に求められる資質はEQ(感情的知性)(※)でしょうか。自分の感情を安全に管理し、他者の感情に寄り添い共感する力です。もう一つは誠実さ。間違ったことがあれば素直に謝る姿勢も必要です。それが信頼関係につながると思います。

― 職員に「挑戦」を求めますか。

私はいつも3つの職員像を示しています。1つ目は「もてなしの心で区民本位の区政を実現すること」。2つ目は「未来への責任を持って健全な行財政経営を推進すること」。そして3つ目が「高い使命感を持って挑戦する人と組織づくり」です。挑戦なくして成果はないと思っています。

しかし組織運営は設計と同じで、デザインする人と、それがうまく収まっているかチェックする人と、両面で進めていくものです。設計では鉄骨を発注するとき、5mmでも違うと全てがダメになってしまいます。チームの中に“攻める人”と“守る人”の両方が必要で、その役割を明確に分けていくことが重要であると考えています。

EQ(感情的知性) 自分や他者の感情を認識・理解し、適切に管理する能力を数値化した指標。「心の知能指数」とも呼ばれ、人間関係に影響する要素として注目される。

区役所での「一期一会」を大切に。

休日はどのように過ごしていますか。

コロナ禍のときは果物づくりをしました。経営していた幼稚園でも植物栽培を重視しており、今もブドウやオリーブを育てています。野菜や果物づくりから新しい価値をつくり出せる人との交流も楽しいですね。

趣味は絵画と書道です。書道は区内の展覧会に毎年3点ほど出品します。頭を空っぽにして一点に集中して書くのが好きです。昔の言葉から、今の自分に当てはまるものを見つけるのも面白い。リフレッシュになり、区長の仕事にも活きていると思います。

座右の銘をお聞かせください。

座右の銘は「夫子の道は、忠恕(ちゅうじょ)のみ」。論語の言葉で、孔子が説く道は「誠」と「思いやり」だという意味です。

孔子の教えを貫く、根本的な思想が「忠恕」です。「忠」は自分の良心に忠実であること、心から尽くすこと。「恕」は他人に対する思いやり、自分がして欲しくないことは他人にしないということですね。区長就任以前から、いつもそばに置いている言葉です。

最後に板橋区の魅力と区役所の自慢をご紹介ください。

板橋区には中山道と川越街道の宿場町があり、街道文化があります。見ず知らずの人が行き交う場所なので、板橋区民は色々な人と気さくに話ができる。庶民的な生活文化が今も息づいていて、地域の町会や自治会も結束がいい。そんな“人の魅力”が大きいですね。

環境面では、荒川や石神井川の「川の文化」や農業など、都市では味わえない要素があります。一方、日本を代表する光学メーカーが研究所と工場を持ち、最先端の研究者が集まる土地でもある。商業文化・農業文化・工業文化がそろった地域性も魅力だと思います。

区役所では、窓口対応などの「一期一会」を大切にしています。区民の中には、一生に一度しか役所に来られない方もいるでしょう。そういうときに「板橋区に来て良かった」と思え、すっきりとした気持ちで安心して帰っていただけるというのはとても重要です。

庁舎1階には「ギャラリーモール」があります。せっかく来ていただいた区民の皆さんに区をPRし、意見を吸い上げるための場です。障がいのある皆さんがつくった食品や作品、大船渡市の復興支援品の販売などは大変好評で、コミュニティづくりの空間になっています。

DXで役所に来なくて済む部分が増えていますが、やはり対面で話をすると安心するということもあると思います。そこを大事にしたいですね。区民の方が誰でも入ってきやすい、入ると自分に役立つ、そういうシティホールにしたいと思っています。