ジチタイワークス

東京都中野区

【酒井 直人さん】公務員、首長になる。

中野区職員として、様々な業務改善や地域活動を行ってきた酒井さん。行政組織全体の風土を変革するためには……と選んだ道は、首長になることだった。

※下記はジチタイワークス公務員特別号(2021年3月末発行)から抜粋し、インタビューの内容やプロフィールは原稿作成時(同年2月中旬)のものです。

東京都中野区 区長
酒井 直人 さん

さかい なおと:1996年、東京都中野区に入庁。区議会事務局、総務部での文書管理や財務会計システム等を担当。総務部広聴広報課、区民サービス管理部保険医療課を経て、2012年に政策室広報担当課長、2016年に地域支えあい推進室地域包括ケア推進担当課長を歴任。電子決裁率日本一(当時)となる区役所の電子化や、自治体の改善運動を全国支援する団体「K-NET」の立ち上げなど様々な実績を残す。2018年2月に退職し、中野区長選挙に出馬。同年6月に中野区長就任。子育て政策や地域包括ケアシステムの構築、自治体の風土改革に取り組んでいる。


私の出発点は、業務に対する“改善意識”。区民の声がしっかり届く行政には、現場を知るトップと管理職の存在が重要です。

Q.区職員時代、特に熱心に取り組んだ業務は何ですか。

今でこそ自治体での電子決裁が普及していますが、私が入庁した25年前は全国的にもほとんど導入されていませんでした。最初に配属された区議会事務局では、議員報酬を支払うシステムに年間150万円ほどのコストをかけていましたが、度重なる税制等の改定で何かと手計算が発生し、その作業に2時間ほど費やしていたんです。「なんとかならないだろうか」と、民間企業で使われている給与計算ソフトを10万円ほどで導入したところ、計算自体は数秒で終了。コストを抑えて効率を上げることを実現し、この経験をきっかけに「役所の仕事は面白い」と思うようになりました。

その後、文書管理システムと財務会計システムを担当し、業務効率化を進めました。システムが変わるということは、職員の働き方も変わるということ。役所には“変化を嫌う”風土があるので、一部の職員からは抵抗もありました。それでも、業務を改善するには職員も変わる必要があるという思いで取り組みました。やればやるほど職員とぶつかり、きつい思いをすることもありましたが、だからこそ、「もっと前向きに働けるよう改善しなければ……」という思いが強まっていきました。

 

Q.改善運動をきっかけに様々な学びや気づきがあったとか。

当時、役所内では改善運動を部署横断的に実施しており、私は実行委員の一人として携わっていました。その中で立ち上げたのが「K-NET」。職員たちのモチベーションを上げるため、改善運動に取り組む他自治体と情報共有を行うネットワークです。しかし、なかなか改善意識が高まっていかないことに焦りを感じ、さらなるネットワークづくりや人材育成が必要だと考えるようになりました。そこで、この運動を始めて6年ほど経った頃に、業務時間外の勉強会をスタートしたんです。月に1回、終業後に職員が集まって取り組むもの。最初は中野区の職員のみでしたが、徐々に他自治体の職員が顔を出すようになり、さらには中野区民も参加するように。この勉強会で大切にしていたのは、ゲストスピーカーの講話の後、グループになって“対話する”こと。話を聞く力だけでなく、この場を通して“発表する力、話す技術”を高めることができたと感じています。

その他、若手の政策能力アップを目的にした内容や、管理職向けの内容など、様々なテーマで職員へ働きかけることを続けました。勉強会を一緒に進めたメンバーは、現在、区の管理職として私を支えてくれています。また、ともに学んだ職員たちも、高い改善意識をもって日々の業務に向き合ってくれています。こういった活動があって、今の私があるといえますね。

 

Q.職員から首長へ。転身を決めた理由は何ですか。

広報課の課長になったとき、「区民へ何をどう伝えるべきか」ということを明確に意識するようになりました。それと同時に、管理職になれば、つまり上に立てば、改善すべき風土を変えられるということが、改めて分かったんです。

また、地域包括ケア推進担当課長時代には、地域の人たちとコミュニケーションする機会が一気に増えました。介護事業所はもちろん、NPO法人や自治会、民生委員の方々と知り合うことで、「区役所だけではできないことも、外部の方々と協力し合えばできる」という実感を得たのです。当時の中野区は、外部とのパートナーシップがとても弱かったので、そのような点においても変革の必要を強く感じましたね。

時代に合った柔軟な組織風土へ変えること、外部と協働しながらまちづくりを進めること……自分が理想とする行政を実現するには、トップに立つしかないという思いが芽生えていきました。

 

Q.区長選における苦労、また、励みになったことは。

区長選に出ると決めて区役所を退職したわけですが、外に出てみて、いかに公務員が守られているかということに気づかされ、感謝の気持ちを抱きました。「これまで守ってもらったのだから、これからは恩返しをしたい」という思いも、さらに自分の背中を押したといえますね。

選挙までの4カ月間は、毎日マイクを持って駅に立ち続けました。まずは、住民に私のことを知っていただかないといけませんからね。最初は不慣れで大変でしたが、在庁時代に続けた勉強会や地域活動の中で身につけた“話す力”が、ここで活かせたように思います。時には、根も葉もない誹謗中傷を受けることもありました。ですが選挙というのは、“信念にもとづき、主張を曲げずにやっていく力”を試される場だと思い、走り続けました。

その中で励みになったのは、やはり応援してくれる人たちの存在。私は、まちの清掃活動やNPOの理事、観光協会でのボランティアスタッフといった地域活動を長くしていましたので、そこで知り合った仲間たちの応援が、大きな力となりました。

 

Q.区長として課題を捉え、新たに取り組んだことは。

私たちが考える以上に、区民は区役所に期待しています。逆にいえば、期待に応えないと不満を持たれるということです。そんな区民の声がしっかり届く区役所にしたい。そう考えて開始したのが、区民と私とで対話する「タウンミーティング」です。

無作為抽出で区民の皆さんに手紙を送って参加のお願いをし、実施するもの。これまで区政に全く興味がなかった、関わることがなかったという人も参加してくれるので、実に多様な要望や思いを聞く機会を得られています。また、子育て世代には参加しやすい時間帯を設定し、「子育てカフェ」という名称で開催。子育て中の父母が参加し、抱えている悩みや課題について話し合っています。このような対話の場で話された内容と対策については、全て区のホームページに公開しているんですよ。

子育て家庭の保護者と区長が対話する「子育てカフェ」の様子。子育て先進区実現に向けたアクションの一つだ。


広報課での経験をもとに、「区報」のリニューアルも提唱し、令和元年に実現しました。「区民が手にとって読みたくなる情報紙」を目指しています。

また、職員の評価項目の中に「地域活動をしているかどうか」という基準を新たに設けました。管理職に対しても、地域活動に取り組む職員を褒めてほしいと伝えています。公務員の現場は地域ですし、外へ出て課題を見つけてこないことには、政策をつくることはできないと考えています。

令和元年7月5日号から刷新された「なかの区報」。オールカラー・横書きになり、写真やイラストを活用した読みやすい紙面に。

 

Q.今後の展望と、首長を目指す公務員にメッセージを。

今後の日本は人口が減り、職員の数を増やすことは難しい。であれば、働き方を変えていくしかありません。DX※に象徴されるように、制度や業務をデジタル化して効率を高め、その分、手が空いた職員に、新しい課題を振り分けられるように舵をきっていきたい。この課題は全国どの自治体も同じだと思いますが、その中でも中野区が、トップランナーとして取り組んでいきたいですね。

今、公務員の皆さんの中には、かつての私のように、自分の働き方や組織のあり方に課題を感じている人もいるかもしれません。自治体と公務員が、時代に合わせて変わっていくには、やはりまず管理職の育成をしっかりできる組織風土づくりが重要だと思いますね。

組織は、結局“人”なのです。積極的に外に出て様々なチャレンジをし、思いきって変革に挑める管理職になること。そしてもし、その先に「首長になりたい」という思いを抱くことがあれば、ぜひ私にメッセージをください。個別にアドバイスさせていただきますよ(笑)。

※DX=Digital Transformation(デジタル技術を活用して行政サービスを変革すること)

 

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