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東京都江戸川区

【区長の本音<3>江戸川区長・斉藤 猛さん】2100年を見据えて共生社会をつくる。

令和7年は、東京23区の区長公選制が復活して半世紀、都区制度改革により「基礎的な地方公共団体」と認められて25年の節目にあたる。この機会に、日本の首都を支える区長の皆さんの素顔と、その「本音」を連続インタビューでご紹介したい。今回は、23区の区長でつくる特別区長会の副会長を務める江戸川区長の斉藤 猛さんにお話をうかがった。

※インタビュー内容は、取材当時のものです。

江戸川区長:斉藤 猛さん Mayor of Edogawa, Takeshi Saito

 

◆プロフィール

斉藤 猛 (さいとう たけし) さん

昭和38年生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。昭和57年に江戸川区入区。医療保険課長、財政課長、福祉部長など歴任。平成30年に江戸川区教育長。平成31年の江戸川区長選挙で初当選。現在2期目。趣味はラグビー、スポーツ観戦、音楽鑑賞。

 

こんなこと聞きました!

区長になった訳 / 目指す区長像 / 2100年を見据えて / ダンスの聖地 / 余暇の過ごし方

粋がっていた若者が福祉に目覚め区役所に。

江戸川区長・斉藤 猛さん

- まずは区長になられた経緯をお聞かせください。 

素晴らしいストーリーがあるわけではなく、前任の区長からやってみろと言われました。そんな器ではないとお断りしましたが熱く語っていただいて、お受けした以上は積極的にやろうと頑張っています。

- 熱く語られた内容は。

区政への思いをつなぎたいというお話です。江戸川区の場合、区長公選制になって私でまだ3人目です。前任の区長は20年間、その前の区長は36年間在任しました。最初の区長が主にまちの基盤整備などのハードをつくり上げていただき、2代目の区長が主に地域コミュニティの形成などのソフトを充実していただいたと思っています。

では私は何をやるか。江戸川区の人口は、区が誕生した昭和7年の約10万人から、令和2年に7倍の70万人になりました。しかしそこをピークとしてコロナ禍を経て現在は減少傾向で、今後も減っていくという予測です。これまでの上り坂から下り坂に転じるターニングポイントに来ています。ハードもソフトも将来の人口規模や財政状況に合わせて見直さなければいけない。そういう時期に区長という重責を務めさせていただくという認識でお受けしました。

- 区長になる前は教育長でした。

その前はずっと普通の職員です。

- 公務員を目指された理由は。

福祉をやってみたかったんです。若い頃はただ粋がっているように見えたと思います。高校時代はラグビー部でしたが、やんちゃな生徒の集まりみたいなところがありました。

今にして思えば、当時は社会への反発もあったんでしょうね。でも色々な本を読むうちに、社会に順応して人のために働く方がずっと難しくて尊いと気づき、福祉に目が向きました。そこで江戸川区役所に入り、最初は福祉事務所で障害者行政を担当しました。

- ケースワーカーの経験は区長として活きていますか。

福祉を志して公務員になったと言いましたが、実際に現場に出てみると、現実はそんな甘いもんじゃない、本に出てくるようなきれいごとばかりの世界じゃないということを、目の当たりにしました。「江戸川区民」と一言で言っても、本当に色々な状況の方がいるのだということがよく分かりました。教科書通りにいかないことも山ほどありましたが、それでも一人ひとりに寄り添い続けることを諦めてはいけない、それがわれわれ行政の役割だと、そういう気持ちを福祉事務所での経験を通じて学ぶことができたと思います。 

その後も福祉関係の部署と人事や財政など内部部門の部署とを行き来してきました。

- その中で区長にと声をかけられた。

前の区長とは、特別に個人的なつながりがあったわけではなく、あくまで一職員としての関係性でしたが、そのような中でも後任として声をかけていただいたことを光栄に感じたことを覚えています。

平時は「弱い区長」、災害時は「強い区長」が理想。

江戸川区長・斉藤 猛さん- 区長とはどういう存在ですか。

「強くて弱い人」ですね。強いだけでも、弱いだけでもダメだと思います。強くあるべき時は、コロナ禍とか水害、地震などの災害時です。リーダーシップを発揮して、どんどん物事を引っ張っていかなければいけないと思います。でも、それ以外の時は、弱い区長でいいと思っています。地域の皆さんにとっても、色々と意見を言える区長の方がいい。そんな「強さ」と「弱さ」を兼ね備えている、それが私の区長像です。 

だから、普段からなるべく多くの方とお話しするようにしています。私たちにとっては区民の皆さん全員がいわゆる“顧客”ですから、そのニーズを聞くのは大事です。イベントなどでも、いらっしゃる方々にできるだけ自分から声をかけるようにしています。

- 区長としてもっとも印象に残っているできごとは。

令和元年の台風19号やコロナ禍ももちろん印象的ですが、私の中では日々様々な場所でお聞きする区民の皆さんの声一つひとつが、日々印象に残ります。例えば、きのうは障害者施設の「二十歳を祝う会」があり、そこで知的障害がある20歳の男性のお話を聞きました。福祉作業所でもらえる工賃は1万5千円程度ですが、「僕はそのお金で家族にハンバーガーをご馳走するのがうれしいんです」というんです。このお話は、私の心に刺さりました。

また、昨年こんな話もありました。桜並木にまつわるエピソードです。区道に植えられている桜の木ですが、根が上がって車椅子やベビーカーが通れなくなってしまうと、細い木に植え替えるという対応を行っています。ある時、そうして伐採する予定の木に、あるお子さんが「さくらちゃん、まいとしきれいにさいてくれてありがとう」と書いて貼り付けてくれたんです。これだけでもほほえましいお話ですが、数日後、今度は大人の字で「おてがみありがとう。とてもとてもうれしかったよ。すてきなおとなになるのをみまもっているね。さくら」と、桜が回答したような貼り紙がありました。地域の中でのこのような心温まるやりとりも、いいなと思います。印象に残るのは、こういう日々の出来事です。 

- 弱者への視点が共通しています。

でも、それだけじゃダメなんです。例えば高所得者層の経営者の方たちは税収で区を支えてくださっています。いつも感謝しています。全体を見て、社会サービスや財源の配分が公平性を欠くことがないようにしていかなければいけません。

75年後の人口半減をにらみ「中負担」を選ぶ。

江戸川区長・斉藤 猛さん- 令和3年に「ともに生きるまちを目指す条例」を定めました。

共生社会というのは当たり前のことですが、その当たり前が全部できているかというと、そうでない部分もたくさんあります。

引きこもりの方、障害者の方、LGBTQ、生活困窮者など様々な方たちがいますが、そうした方々がそれ以外の方たちと同じように行政サービスを受けられているのか、調べれば調べるほど、できていない場面があることがわかってきました。ならば、区役所の責務をしっかり明文化して表に出していこうとつくったのが「ともに生きるまちを目指す条例」です。これをいわば区における“憲法”として、それを具体的にするための個別の条例もつくっています。

- 西暦2100年を見据えた内容ですね。

「ともに生きる」という言葉の対象には、今の子ども、これから生まれてくる子どもも入ります。区が行った推計によると、このままいけば2100年には人口が半減し、税収は半分以下になると推計されています。同じやり方で行政を続けていては、サービスの低下は免れない。再構築が必要です。

そのために令和6年、区民アンケートを行いました。今後の区の行政のあり方を選んでもらう内容です。2100年を経験するであろう世代の小学5年生以上を対象としました。

人口や歳入が減少していく中において、今と同じ水準の行政サービスを維持するためには、区民の皆さんの負担も重くなります。サービス水準は高いのに負担は低いという状態では、バランスがとれません。だから「高サービスー高負担」「中サービスー中負担」「低サービスー低負担」の3つの選択肢から、区民の皆さんに選んでもらいました。約46,000人もの方から回答をいただき、結果「中サービスー中負担」が78%で最多でしたので、今後の方向性をそこに決めて、その方向に向かって歩んでいます。

- そこまでの長期ビジョンは珍しいですね。

先ほどの人口推計ともう一つ、建物の老朽化が理由です。高度経済成長期につくった建物が現在更新時期にあります。今建物を建てるのであれば、80年はもたせなければいけません。75年後にあたる2100年を当然見据えて考えなければいけないと思います。いま複合化や統合により維持管理費の削減をしておかないと、将来の子どもたちに負担を先送りすることになる。行政として今、避けて通ることはできないと考えています。

ある監査法人の方からは、区の財政状況は今は大丈夫と言われていますが、家計と同じで、収入が減るのであればそれに見合った生活を送るようにしましょうと、そのような考えのもと取り組んでいます。

- 外国人との共生も人口減少を見越しているのでしょうか。

先ほどお話しした人口推計によると2100年には区民の5人に1人が外国人になります。外国人だからと言って、特別な存在ではありません。同じ一人の区民として対応ができる自治体にしたいと思っています。いま区内にいらっしゃる外国人は4万8,000人ぐらいですが、23区では最も多いんです。令和5年度には、外国人が世帯主の全世帯、約2万2,000世帯を対象に、困っていることや求めていることをアンケートで聞きました。現在は、その結果に基づいた政策を一つずつ実施しているところです。 

江戸川区は全国の自治体の中で最もインド人が多い自治体で、インドのお子さんが通う学校もあります。住民の6人に1人がインド人という地区もあります。しかし、それで苦情があるかというと、あまりありません。インド人の方の中には町会の役員をやっている人もいますし、お祭りには焼きそばやカレーのブースを出してくれる。地域の皆さんの中で共生ができているのだと思いますし、このような関係性が区内全体に広がればいいなと思っています。

令和6年10月に多文化共生センターをつくりました。外国人の皆さんがコミュニケーションに課題を感じているのであれば、その課題を解決する。その代わり、そこから先は、ほかの区民の皆さんと同じように、ご自身でやってもらいます。ほかの人が受けている行政サービスを何らかの障害があって受けられないのであれば、その障害を取り除きます。障害者や子ども、高齢者に対しても考え方は同じです。それが私たちの仕事だと思っています。

LDHと連携。江戸川区をダンスの聖地に。

令和5年に「メタバース区役所」を開設した江戸川区。翌年には区職員の採用説明会もメタバースで開かれた。

令和5年に「メタバース区役所」を開設した江戸川区。翌年には区職員の採用説明会もメタバースで開かれた。

- 「メタバース区役所」を立ち上げたり、「LDH JAPAN」(※1)とダンスを活かした共生社会の連携協定を結んだり、斬新な事業が多いですね。

それは私が弱いからです。例えばメタバース区役所でいえば、これまでも電子申請はやっているんです。でも難しいんです。私には電子申請すら難しい。同じような方がたくさんいるかもしれません。一番シンプルなのは区役所に来てもらうことですが、来られない方もいます。ならば区役所と同じものをネット上につくって、自分で訪ねて相談でき、電子申請も相手が教えてくれればいい。私がそういうことに弱いからこその発想ですし、またメタバース区役所は、役所に来なくてもよい究極のバリアフリーだと思います。

LDHとの連携については、EXILEのHIROさんにお話をお聞きしたことがきっかけです。若い子がまちなかの色々なところで踊っている姿を目にしますが、HIROさん曰く、LDHの皆さんもダンスをしている方々の全体像を把握できていないそうです。例えば野球は甲子園があって大学野球があってプロがあって、チームの数もすぐわかる。でもダンスは組織だったものがないそうです。公園や駅前で踊っている彼らがちゃんと踊れるところがあれば救われるし、彼らにとっての甲子園、大学野球をつくってあげたいというHIROさんのビジョンをお聞きして、すごいなと思いました。

いま中学校でもダンスが必修です。HIROさんに聞くと、ダンスの練習をするには、公園に自分の姿が映るものがあればいい、この役所の前でもいいということです。あとは「夜9時以降は禁止」といったルールをつくればいいということでした。江戸川区をダンスの聖地にしたいとおっしゃっていただいたHIROさんの想いも受けて、区内に踊れるところを何ヶ所もつくろうとしています。自主的に踊る人たちがどんどん出てくるといいですね。やりたいことができる環境、選択肢が多い自治体がいい自治体だと思っています。

- 斬新な政策はご自身の発想ですか。

私から言い出すものもありますし、職員からの提案もあります。職員とキャッチボールしながらやっています。

- 職員3,600人のトップとして心がけていることは。

喜怒哀楽を表に出すことです。何を考えているか分からない、心の内を読むようなことはさせたくない。職員だったときの経験で、上司の顔色を見ながらだと消極的になるじゃないですか。それならば上司が感情をはっきり出した方がいいでしょう。これは私だけではなくて、職員もそうですし、区民の皆さんも同じです。江戸川区にいる間は喜怒哀楽を出していい、江戸川区に帰ってくるとほっとする、皆さんにとって自分らしく過ごせるそんな自治体がいいですね。

- 公務員のあるべき姿、理想の区職員をお聞かせください。

元気でやってほしい、それだけです。先の世の中は見通せないですが、どんなときも元気でチャレンジしてもらえればと思います。あとは誰のために仕事をしているか、何のためにやっているかですね。職員には、上司や私のためじゃない、区民のためという軸足を忘れずにと伝えています。

- 東京23区で唯一、職員を独自採用しています。

江戸川区は特別区人事委員会(※2)ができる前から独自採用です。23区どこでもいいという人ではなく江戸川区で働きたい人を、というコンセプトが当時からあったということです。

ただ、いまは帰属意識といっても通用しなくなってきていて、35歳ぐらいまでに辞める人が増えています。どこの自治体も状況は一緒ではないかと思います。そうした中、先日、若い職員に聞いてみたんです。帰属意識を求められるのと、35歳までに転職できるような人材にするからそれまでは区でがんばってあとは自由に転職してくださいというのと、どちらがいいか、と。そうしたら、圧倒的に後者の方がいいという答えでした。

実は今朝もそれについて人事部門と話し合っていました。35歳ぐらいまでに折衝業務とか住民対応とか計画部門とか、色々な経験をしてもらう。そこからは区役所に残るもよし、転職するもよし。江戸川区では、転職ができるような職員になってもらいますというのはどうだろうと。

江戸川区だって経験者採用で転職の方をたくさん採っていますから、出ていく方だけダメというわけにもいきません。退職までは優秀な人材がいてくれるということですし、一度出ていった方に帰ってきてもらえる採用方式も定着させたいと思っています。育児でも介護でも留学でも、在職したままだと中途半端になるのならいちど辞めてその道に専念してもらい、落ち着いたら復職できるような選択肢もあっていい。そういうことも話し合いました。 

※1:株式会社LDH JAPAN ダンス&ボーカルグループ「EXILE」などが所属するエンターテインメント企業。EXILEリーダーのHIROが代表取締役会長兼社長CEO兼CCO。
※2:特別区人事委員会 東京23区でつくる特別区人事・厚生事務組合が選任した委員で構成。職員採用などの人事に関する事務を一括して担う。

余暇の楽しみはラグビーと「永ちゃん」。

江戸川区長・斉藤 猛さん

- 余暇の過ごし方は。

年末年始もゴールデンウィークもなかなか休日はないです。でも、それでいいんです。私の場合、色々な人と話す方がリフレッシュになるようです。

あとは、ラグビーをずっとやっていて、社会人になっても続けてきました。コロナ禍の時は少し時間ができましたのでラグビーもできましたが、コロナ禍が明けてからは土日も予定でいっぱいで、ラグビーはできません。ときどきスポーツクラブに行きますが、それはいつでもラグビーに復帰できるようにするためです。 

職員には、自分が元気じゃないと区民を元気にできない、だからまず自分が元気になってくださいと言っています。私はそれがラグビーですが、読書だったり映画だったり、それぞれ一番元気になれるものをやってほしいと伝えています。

- 音楽鑑賞がご趣味とお聞きしました。

中学生の頃から矢沢 永吉さんのファンです。コンサートには毎年行っています。当然、仕事が優先ですが、日本武道館の公演だけは行かせてくださいとお願いしています(笑)。

- 座右の銘は。

一休さんが亡くなる前、弟子たちに「本当に困ったときに開けなさい」と手紙を残したそうです。その後、寺がにっちもさっちもいかなくて手紙を開けたら「大丈夫、心配するな、なんとかなる」と書いてあった。その話を主任の昇任者にしています。私自身、最後はなんとかなると思うしかないということが結構あります。もちろん心配しなければいけないこともありますが、全部気にしていたら、潰れてしまうこともある。「なんとかなる」という気持ちは持っていた方がいいですね。

- 江戸川区の魅力、区役所の自慢を教えてください。

江戸川区には全国初の親水公園やシルバー人材センターをはじめ、区立としては珍しいホテルや映画館、駄菓子屋やドーナツ屋など特徴的な施策や事業があります。区民のために自由な発想でアイデアを出し合い、職員が仕事にチャレンジできる職場風土が根付いています。こんどは金魚の養殖やビール醸造にも挑戦します。

スカイツリーやディズニーランドのようなランドマークこそありませんが、江戸川区には、醤油の貸し借りなどが今も残る、下町の気質・人情があります。

また、ほっとできる自治体であるためには、やはり人のつながりが大事です。コロナ禍のときに、高齢者3,000人以上にアンケートを取りました。何に困っているかと聞くと、経済的なことでも健康への不安でもなく、人とのつながりがなくなったという回答が最も多くありました。また、逆に家族から連絡が来たとか、近所の人が心配してくれたとか、そういう嬉しいことがあったという声もありました。自分が住む自治体を好きになるかどうかの決め手は、買い物が便利とかいうことよりも、結局人とのつながりに行き着くのではないかと思います。

職員はみんな優秀で、地道にコツコツ仕事をしてくれています。役所の仕事は地味な仕事で、脚光を浴びるような仕事は3%あるかないかではないでしょうか。残る97%を真面目に一生懸命やってくれている職員が江戸川区を支えてくれているので、そういう彼らが自慢ですね。

ジチタイワークス・西田 浩雅◆取材後記
「ただ粋がっていた」青年が、福祉に目覚めて区役所に就職。地道な努力を重ねた末に区長となり、路上で踊る若者たちを応援する……。多彩な政策の背景に区長の人生のドラマがありました。ラグビーと「永ちゃん」への熱い思い、そして2100年を見据えた展望を語る表情の豊かさも忘れられません。(西田 浩雅)

 

次回は世田谷区・保坂 展人区長です!

 

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【区長の本音<2>足立区長・近藤 やよいさん】区民目線で区の魅力を創出する。

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