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【区長の本音<17>墨田区長・山本 亨さん】伝統と現代が息づくまちの魅力を磨き上げる。

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【区長の本音<17>墨田区長・山本 亨さん】伝統と現代が息づくまちの魅力を磨き上げる。

区長公選制復活から半世紀、基礎的な地方公共団体となって25年という大きな節目を令和7年に通過した東京23区。そんな日本の首都を支える区長の皆さんの素顔と“本音”をご紹介する連続インタビューの17回目は、墨田区・山本 亨さんが登場。生まれ育った墨田区で地域活動に深く関わってきた経歴と、これからのまちづくり、スピード感を重視する組織運営についてお話をうかがった。

※記事の掲載情報は公開日時点のものです。

地域活動一色の生活から政治の世界へ。

― まず山本さんが区長になられた経緯をお聞かせください。

墨田区で生まれ育って、もうすぐ65年になります。このまちが大好きで、一度も離れたことがありません。下町の雰囲気も好きですし、なによりも“人”ですね。町会のおじさん、おばさん、元気な子どもたち、全てが大好きで、良いまちだなとずっと思ってきました。

ただ、墨田区は多くの可能性があるけれど、どこか地味というか、うまく発信しきれていないなと感じていたんです。そんな中、20年ほど前に「東京スカイツリー®」の立地が当区に決定しました。大きな可能性を感じると同時に、ポテンシャルを区民と共有して、さらに良いまちにしたいという思いを抱きました。

その時期に墨田区議会議員となり、区政を支える立場として2期8年務める中で、区長として先頭に立ちたいという思いがだんだん強くなってきたのです。

― お父様は東京都議会議員でした。早くから政治の世界を志していたのですか。

私は選挙が大嫌いだったんです。親や親戚が大変な思いをしているのを間近で見ていたので、自分が政治をやるのは気が進まなかった。だから父の仕事を手伝いながら、地域の人たちの声をまとめて伝える役割をずっと担ってきました。

ところが父が引退し、地盤を継いだ義理の弟も体調を崩して辞めたため、地域の声を届ける政治家がいなくなってしまった。さて誰に伝えればいいのかという事態に直面して、ならば自分で伝えようと区議会議員選挙に出馬しました。45歳のときなので、政治家としては遅いスタートです。

― 民間勤務もご経験ですが、区長としての仕事にどう活きているでしょう。

大学卒業後は損害保険会社で営業を経験しました。実家が損害保険の代理店をやっており、ゆくゆくは地元で自分が保険を売ることになるのかなと思っていたのです。父の選挙の関係で予定より早く会社を辞めることになり、家業を大きくする役割を担いました。

一方で、母校の大学の剣道部監督を17年務め、地元の道場では子どもたちに剣道を教えていました。このほかPTA会長や消防団の部長、町会の副会長など、44歳までは地域活動一色の生活。だから今でも、近所のおじいちゃんやおばあちゃんから「とおるちゃん」と声をかけられます。

墨田区は、隅田川と荒川に囲まれた、懐かしい下町風情と人の温かさが息づくコンパクトなまちなので、地域との一体感が区長としての仕事に活きています。まさに一緒に仕事をしているという感覚です。

コロナ禍の「ピンチをチャンスに変えよう」。

― 就任されて11年余りが経ちました。区長とはどういう仕事でしょうか。

ひと言で表すなら“日々楽しい仕事”です。イベントに参加して、区民に笑顔で迎えていただき、それぞれの地域がいきいきと頑張っている姿を見る。子どもたちから「区長さん」と声をかけてもらえる。これは何よりも活力になります。

区政に取り組む中で、コロナ禍や民泊をめぐる調整など、難しい課題が突然出てきます。そこは厳しい声も含めてしっかり受け止め、課題を解決していく。これもまた仕事のやりがいの1つですね。

そして責任をしっかり背負うこと。区役所で何か問題があったときは、責任は全て自分にあるという自覚を持つことです。あとは使命感。自分にしかできない仕事を真剣に、一生懸命にやって、成果を出すという意識ですね。

― 就任以来、特に印象深い出来事は何でしょうか。

まずは、3年4カ月に及んだコロナ対策です。それまでは23区全体の動向を見ながら区政を運営する側面がありました。しかし、コロナ対策では新しいことにどんどんチャレンジしました。それが功を奏して、検査体制強化やPCR検査の迅速化、病床の確保、そして全世代への素早いワクチン接種を実現。区民から「墨田区に住んでいてよかったです」と感謝の声をいただきました。強く印象に残っています。

このとき職員には「ピンチをチャンスに変えよう」と最初に伝え、経験・教訓を次に活かすための政策パッケージにまとめました。庁内の働き方改革やリモート授業の導入、経済の反転上昇に向けたデジタル地域商品券事業やキャッシュレス決済です。職員も区民の皆さんのため、本当に頑張ったと思います。

次は、墨田区ゆかりの葛飾 北斎を顕彰する「すみだ北斎美術館」の立ち上げです。スカイツリー開業に合わせたメインプロジェクトとして就任2年目に開館しました。当初はいわゆるハコモノとの声もありましたが、通算入館者数は令和8年3月に150万人を突破しています。コロナ禍の時期を除くと実質6年ほどでの実績ですから、かなり高い集客率です。

その運営には、私が区議時代に提案した「北斎基金」を活用しています。ふるさと納税で募っており、すでに35億円に到達。大規模改修や新しい作品の購入に充てています。一般財源だけに頼らず、区民や全国の北斎ファンの皆さんとともに運営を支えていることを区長としてうれしく思っています。

区議時代の提案では、平成19年に議会で質問した東武線押上駅周辺の踏切除却も令和7年に実現しました。スカイツリー周辺で交通のボトルネックになっていた“開かずの踏切”の解消です。区議時代に自分で課題としたことを、区長として19年越しで実らせることができて感無量です。

― 子育てや安全安心なまちづくりも重視されていますね。

子育てについては23区それぞれ素晴らしい取り組みがありますが、墨田区は「すみほこ(すみだ保健子育て総合センター)」という施設を新たに開設しました。この施設は、保健・子育て・教育の機能をあわせ持ち、妊娠期から子育て期までの様々な相談や健診に一元的に対応します。約30室の相談室を設けていますが、日々満員状態。医療にかかわる対応から日々の細かい相談まで保健師が対応しており、利用者から「施設もきれいだし、職員が親切で心強い」という言葉をいただいています。役所冥利に尽きますね。

また、公園や道路、水辺空間は区民の安全安心につながるので、しっかり整備しています。かつては木がうっそうと茂って暗いところもあった錦糸公園や隅田公園は、がらっと雰囲気の違う開放的な公園になりました。盆踊りなどのイベントで公園に行くと、子育て中のお母さんから「墨田区は本当にいいまち」「一緒に写真を撮ってください」と声をかけられ、明日からまたやるぞ、と意欲が湧いてきます。

「すみだ五彩の芸術祭」で文化観光都市へ。

― 現在、最も力を入れている政策は何でしょうか。

令和7年度に新たな基本構想を策定しました。「人がつながり 夢をカタチに 墨田区」がキャッチフレーズです。令和8年度は、その構想を現実の予算に落とし込む年であり、年度内に区制施行80周年を迎えます。この節目に向けて立ち上げたのが、令和8年9~12月に開く「すみだ五彩の芸術祭」です。

葛飾北斎が生涯を過ごし、伝統工芸の職人たちが息づく墨田区は、文化の宝庫です。佐渡 裕さん率いる「新日本フィルハーモニー交響楽団」が本拠を置く音楽都市であり、多くの真打が住む落語のまちでもあります。大相撲や花火大会といった伝統行事に加え、江戸東京博物館、刀剣博物館、たばこと塩の博物館といった施設もある。ありとあらゆる文化・芸術・歴史が、凝縮されているのです。

すみだ五彩の芸術祭は、こういった地域の宝を受け継ぎ、国際文化観光都市の実現につなげるための通過点です。区内50カ所以上を会場に、作品展示やダンス、演劇、音楽など140件以上のプログラムを展開します。佐渡 裕さんが中学校の吹奏楽部を一堂に集めて指導するクリニックなど、ユニークなイベントもあります。

墨田区ではこの10年、北斎や隅田川にちなむ表現活動を公募する「すみゆめ(隅田川 森羅万象 墨に夢)」という事業を通じてまちのルーツを共有してきました。その歩みを集大成し、区制施行80周年の節目を機に10年後の墨田区へと向かっていきたいと思います。

― これからのまちづくりをどう展望していますか。

スカイツリーの周辺や錦糸町、両国、曳舟などのエリアは、単なる再開発ではなく、墨田区らしいまちづくりを進めるうえで“分岐点”にあります。安全安心につながる公園や道路、水辺空間を整備して、快適で心地よいまち、暮らしやすいまちをつくりたい。防災面では、木造家屋の密集地域が多いので、燃えないまち、壊れないまちづくりが主体になりますね。

― 多文化共生についてもお聞かせください。

みんなが安心できる“墨田区版の多文化共生社会”づくりを進めます。コンビニでも介護サービスでも建設現場でも、多くの外国人が活躍しています。そうした人々に、区のルールやマナーを守ってもらいながら、多文化共生を進めて行くことを考えています。

一方、課題となっているのが民泊。地域に不安を与えるような民泊に対しては、徹底的に指導をしていきます。逆にルールを守って運営しているところからは意見を聞きながら、適正な対応を探っていきます。

“5つのワーク”とスピード感を期待。

― 約2,000人の職員を率いるトップとして心がけていることはありますか。

人に声がけすることが大好きで、エレベーターなどで会う職員には必ずあいさつします。頑張ってもらっている職員に感謝の気持ちを伝える。これが一番大事です。

指示を出すときは、分かりやすく、丁寧に伝えることを意識します。例えば、私は区議の経験があるので“区議会目線だとこう見えるよ”といったアドバイスができる。また、65年間暮らした区民としての目線から“町会の人はいつもこう言っているよ”と伝えます。分かりやすく伝えた上で、こんな風に改善しよう、これを実現しよう、というコミュニケーションを心がけています。

区長になって11年余りですが、職員に対しては、一方的な上意下達の命令にならないよう心掛けています。新入職員と2年目職員が集まる恒例の懇親会には必ず参加し、全部のテーブルをまわって直接語り合う。上下の壁はないと思いますよ。

― 区長として描く“理想の職員像”をお聞かせください。

区民の不安や相談、地域で起きていることに対してしっかり足を運び、声を聞き、解決する職員。これに尽きます。そのための行動指針として“5つのワーク”を提唱しています。

まず現場に足を運ぶ“フットワーク”、頭を使って解決策を考える“ヘッドワーク”、みんなで協力する“チームワーク”、横のつながりをつくる“ネットワーク”。この4つを挙げたところ、職員課から「健康や働きがいがあってこそいい仕事ができる。“ウェルビーイングワーク”を加えましょう」と進言を受け、5つになりました。

さらに“チェック・チェンジ・チャレンジ”を求めています。これまでの仕事ぶりをフレッシュな感覚でチェックし、変えるべきものは勇気をもってチェンジする。そして新しいことにチャレンジする。これを皆さんにお願いしています。

― これからの時代、職員に新たに求められる資質は何でしょうか。

スピード感ですね。今の時代は速さこそが勝負です。何か課題があったとき、一度役所に持ち帰って悶々と悩み、上司に相談して……と何カ月もかけて政策を練るような時間軸では、時代の変化に追いつきません。親身に答えを出そうとするあまり、スピード感が失われてしまうのは大きな弊害です。

例えば令和8年の6月議会では、物価高騰で経営が厳しい区内の中小事業者のための新しい融資制度を提案しました。7月中旬を目途に動く自治体が多い中、私たちは議会の協力も得て本会議3日目で早期議決をもらい、翌日から受け付けを開始。融資上限1,000万円、事業者負担は実質0.2%という好条件で、1カ月の間に800件近い申し込みがありました。中小企業の多い墨田区にとって、このスピード感が勝負だったと実感しています。こういった行動力と実現力が、これから求められますね。

“背私向公”が信念。孫と会ってリフレッシュ。

― 休日はどのように過ごしていますか。

区長になって11年間突っ走ってきたので、最近は体を休めてメンテナンスすることを心がけています。マッサージも初めて試しました。気力と体調を整えて次の週の仕事に臨みますが、これが非常にいい。区民から「区長、最近ますます元気になりましたね」と言われます(笑)。

剣道には最近あまり行けてませんが、時間があれば行くようにしています。何歳になっても続けていきたいですね。あとは3人の孫に会うこと。心と体のリフレッシュになりますね。

― 座右の銘はありますか。

“背私向公(はいしこうこう)” です。自分のことは置いておいて、公、すなわち区民のための仕事にまい進するということです。区議時代からの信念ですが、特に区長になってから、この言葉の重みを強く感じています。

言い換えると“無我”でしょうか。もはやトップが自分のエゴを押し通し、職員に無理を強いる時代ではないと思いますね。自分自身が、気力・体力・知力を充実させ、良い仕事にまい進することです。

― 最後に、墨田区の魅力と区役所の自慢をご紹介ください。

墨田区の魅力であり同時に区役所の魅力なのですが、“優しくて時には厳しい、良い区民“に育てられてこそ、良い職員が生まれる。互いに育てられるのが墨田区の特徴だと思います。私自身も、区民に支えられ、声をかけていただくことが毎日の元気につながっています。

墨田区には、江戸から続く伝統文化、歴史、そして産業・商業のルーツがある。地域資源を新たな視点で発掘し、その原石をみんなで磨き上げていく楽しみがあります。区民や区内事業者、各種団体の皆さんと一緒にまちの魅力を引き出し、発展させていくことに、大きな醍醐味を感じます。職員にとっても、やりがいのある仕事を経験できることは素晴らしいことだと思いますね。