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【区長の本音<19>中央区長・山本 泰人さん】老舗で磨いた“消費者目線”で区民に寄り添う。

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【区長の本音<19>中央区長・山本 泰人さん】老舗で磨いた“消費者目線”で区民に寄り添う。

区長公選制復活から半世紀、基礎的な地方公共団体となって25年という大きな節目を令和7年に通過した東京23区。そんな日本の首都を支える区長の皆さんの素顔と“本音”をご紹介する連続インタビューの19回目は、中央区・山本 泰人さんが登場。老舗「山本海苔店」の経営から区長に転じた経緯や、民間から見た行政のあり方、区制施行80周年に合わせた地域活性化の構想などについてお話をうかがった。

※記事の掲載情報は公開日時点のものです。

日本を代表する老舗の経営から区政トップへ。

― まず区長になられた経緯をお聞かせください。おじいさまが初代の中央区長でした。

家業である「山本海苔店」の仕事もありましたし、祖父と同じ道を歩もうという意識は全くありませんでした。転機となったのは、前区長の矢田 美英(よしひで)さんが7期目を終えられる際、「次代の区政を託したい」と直接、出馬の要請をいただいたことです。当時は副社長として社業に専念していましたので、一度はお断りしました。

それから4年が経過し、私が70歳になる年に、矢田さんが再び会社にお越しになり、これからの区政のためにと再度のお話をいただきました。経験のない世界へ飛び込むことへの戸惑いは大きく、決心までは相当な時間を要しました。当時、ロータリークラブの会長職をはじめ、多くの役職を担っていましたので、それらを全て退き選挙に臨む覚悟を固める必要があったからです。

最終的に私の背中を押したのは、祖父の存在というよりも、矢田さんの区を思う熱意でした。その熱意を受け、熟考した末に決意しました。あくまで有権者の皆様の判断を仰ぐ立場ですが、その一歩を踏み出したのは、前区長からの並々ならぬ要請があったからこそだと思っています。

― 日本を代表する老舗の山本海苔店で長く経営に携わってこられました。

昭和46年に大学を卒業して、銀行に3年間勤務した後、山本海苔店に入りました。海苔の仕入れや仕分けから入り、工場と営業を長く経験した後、商品の開発・企画を担当。70歳まで50年近く、人生の大半を商売に費やしてきました。

実は勤務と並行して、日本橋川の水辺再生研究会や日本橋北詰商店会、中央区体育協会(現・中央区スポーツ協会)の会長を務めるなど、地域の活動に深く関わってきました。平成29年に策定された「中央区基本構想」の検討委員会にも委員として参加。地域社会や中央区の仕事を通じて、自分の幅を広げてきたところがあります。

― 当時からまちづくりに関心があったということでしょうか。

中央区基本構想の策定では人々のにぎわいを創出する部会に入り、意見交換しながら原案をつくりました。まちづくりに関わることは、自分自身の課題でもあった。長年の地域活動を通じて築いた区民との信頼関係や現場感覚を活かし、様々な課題をより良い方向へ進めていきたいという思いも、区長選への出馬の決断につながっています。

― 70歳で民間から区長選に出馬されるのは大きな転換です。

青天のへきれきではないですが、選挙の洗礼を受けたわけですからね。全てが手探りで、どれだけ票がいただけるか分からない状態です。ただ、前任の区長が応援してくれたことは大きな力になりました。全くの民間人だったので、道なき道を自分なりに開いたというところです。

区長は“扇の要”。誰からも信頼される存在に。

― 民間の立場から見て行政というのはどういう存在でしたか。

民間での活動を色々とやっていたとき、日本橋の首都高速道路を地下化するか撤去するか、議論が交錯していました。その頃、中央区の職員が来て説明してくれましたが、こちらの質問に対して的確に答えてくれるなと感じていました。また水辺再生研究会では、区と連携しながら日本橋川の水質改善に取り組んだこともあります。民間にいながら行政をサポートし、区民との間にある溝を埋める立場だったので、区とはかなり近い存在であり、連携して仕事をしてきた感覚です。

― 民間時代の経験で区長の仕事に役立っている部分は。

やはり“消費者目線”ですね。老舗といえども、その時代の人からサポートされなければお客さんはどんどん減っていきます。そうならないために新しい商品を開発するなど、消費者の求めているものを常に提供していくことを学びました。

それは行政も同じで、区民の心情や生活のあり方に寄り添うことが大事。都市基盤が変わっていく中、そのときの区民ニーズ・区民目線に沿って政策を変えていかねばならない。その点が、商売の経験が活きていると考える大きなポイントです。

― 就任されて7年余り。区長とはどういう仕事でしょうか。

ひとことで言うと“扇の要”でしょうか。常に俯瞰(ふかん)的な目線を持ちながら、区政のまとめ役として信頼できる存在でなければならないと思っています。個々の政策や予算をどう決めるかも当然重要ですが、何よりも大切なのは信頼感です。古いものを守るだけでも、新しい取り組みを矢継ぎ早に始めるだけでも、信頼される行政にはつながりません。“新たな挑戦への期待”と“変わらない安定感”の双方を感じていただくことが、区民の皆さんの期待や信頼につながります。扇の要として、大胆さと慎重さを併せ持ちながらよりよいまちづくりを進めていく。その大きな責任、まさに重責を背負っていると感じています。

― 就任以降、最も印象に残っている出来事は。

まず思い浮かぶのは、就任直後に直面した新型コロナウイルス感染症への対応です。感染拡大防止と地域活力の維持という難題にどう立ち向かうか、頭を悩ませる厳しい対応が続きました。

その一方、令和5年に策定した「中央区基本計画2023」では、未来に向けた一歩として「中央区セントラルパーク構想」を打ち出しました。区内全域を、やすらぎ・交流・にぎわいの場(パーク)として位置付け、そのうえで政策横断的に取り組んでいく(1)ゼロカーボンシティ(2)水とみどり(3)コミュニティ活性化(4)経済活性化・文化振興、という4つのリーディングプロジェクトを示しました。

令和3年にはゼロカーボンシティを宣言しました。その後、福島県大熊町との協定にもとづく風力発電による電力活用や、千葉県館山市の区有地における太陽光発電施設の整備など、この宣言を足掛かりに、これまでにない広域的視点による環境対策の実施につなげられたことは、強く心に残っています。

銀座と築地を「みどりのプロムナード」で結ぶ。

― いま最も力を入れている施策は何でしょうか。

令和8年度は区制施行80周年の記念の年。“魅力の発掘・発信とにぎわいの向上・創出”を重要なテーマと位置付けました。中央区には歴史、文化、商業、水辺、食、そして多様な人々が行き交う都心ならではの魅力があります。こうした中央区らしさをあらためて掘り起こし、区民と共有する。そして内外へ広く発信していく。これが区民の誇りと愛着を育み、来訪や交流を促して、地域経済のさらなる活性化につながると考えています。

その一つとして重要なのがシティプロモーションです。江戸時代からつながる長い歴史の痕跡や資料は、中央区ならではの魅力的なコンテンツであり、それらを活かした企画や発信の強化を図っているほか、グルメやまち歩きといった切り口からも中央区の魅力のプロモーションに力を入れています。これらの取り組みを通じて、さらなるにぎわいの創出を目指すとともに、区民の区に対するエンゲージメントの向上も実現させていきたいと考えています。

― 「東京湾大華火祭」の開催も区民の関心が高いようです。

花火は江戸の“華”ですからね。それを今日的な意味で受け継いでいくビッグイベントとして、港区との共催により11年ぶりに開催します。

東京湾大華火祭は、東京五輪の選手村建設と新型コロナの感染拡大で、平成27年を最後に休止が続いていました。今回の開催に至るまで様々な課題もありましたが、それを乗り越えて開催します。区制施行80周年にあたり、古い歴史を思い返す機会にもなるはずです。

併せて、開設10周年を迎える「中央区観光情報センター」をリニューアル。区の特徴や魅力をより分かりやすく伝え、さらなる都市観光の促進につなげます。

― 区の人口は増加を続けていますね。

近く20万人を超える見通しです。人口分布は、晴海・勝どき・豊海を含む月島地域と、京橋・日本橋地域の合算でほぼ互角。人口増の中心は月島地域で、区民の約95%がマンション居住者という状況です。職住近接により短時間で帰宅できるので、30代から50代の働き盛りの世代の人たちが増えているのです。月島地域では水辺に沿った新しい街区が形成されており、今後も水と緑を活かしたまちづくりを進めたいと考えています。

― 築地市場跡地の再開発計画や首都高速道路の日本橋区間地下化事業が進んでいます。まちづくりの長期的な展望をお聞かせください。

築地市場跡地再開発では、築地から東銀座へつながるグリーンデッキ整備を目指し、築地川アメニティ整備構想や東京高速道路(KK線)跡地に整備される歩行者空間と連携し、銀座・築地周辺を結ぶ「みどりのプロムナード」を実現します。また、日本橋川沿いでは、首都高速道路の地下化によって呉服橋から江戸橋方面まで歩ける「水辺のプロムナード」が整備されます。そして、都心と臨海部を結ぶ地下鉄新線の計画や、首都高速道路晴海線の延伸構想もあり、中央区の都市基盤は今後15年ほどで大きく変わっていくでしょう。

経済面では、日本橋エリアを拠点に日本全国や世界へと連携を広げながらライフサイエンスや宇宙分野、金融関連などのスタートアップ企業が増えています。築地市場跡地にもライフサイエンス拠点が予定されており、シナジー効果が期待できます。一方で既存の企業グループの中では、ゆかりの地である中央区に回帰する動きがある。大手企業と新興企業が交流し、新たなクリエイティブが生まれるまちへの期待を強く感じます。

“消費者目線”で区民の要望を敏感に捉えて。

― 職員のトップとして心がけていることはありますか。

組織の風通しの良さを保つことです。行政の仕事は、区民の暮らしに直結していますから、区民の思いや声がしっかりと届く組織でなくてはならない。最前線で起きている小さな変化にいち早く気づき、迅速に対応するために、風通しの良さは欠かせません。

組織が“人の塊”になると固まってしまい、形を変える柔らかさが出せなくなってしまいます。職員が活発に意見を交わせるオープンな風土をつくることで、区民に寄り添い続けられる柔軟な組織でありたいと考えています。

― 区長として描く職員・組織の理想像は。

仕事にあたっては、民間でいう消費者目線、つまり区民の視点で、声やニーズを敏感に捉えてほしい。そして、前例にとらわれないチャレンジ精神を持ってもらいたいですね。管理職の皆さんには、若い人たちの提案や実行しようとする意欲を引き出してくださいと、常々伝えています。

行政には継続性と変革の両立が求められます。適切なリスク管理のもと、職員一人ひとりが挑戦する姿勢を持たないと、組織は衰退していきます。

職員のシビックプライドが区役所の自慢。

― お休みの日は何をしていますか。

散歩ですね。自宅のまわりやまちを歩いて、新しいお店ができたり緑の空間ができたりという変化を見て楽しんでいます。あとは音楽が好きなので自分でピアノを弾いたり、俳句を詠んだりします。

剣道は教士七段です。高校・大学・銀行・山本海苔店・実業団と続けて、現役引退後は中央区剣道連盟の会長を務めました。区長になってからも素振りだけは続けています。剣道は、生涯自分を映して磨いていくための“鏡”ですね。

― 座右の銘はありますか。

“不易流行”でしょうか。“温故知新”もそうですが、変えていいものと変えてはいけないものがある。それをどこまで見極められるかが大事だということです。

― 最後に中央区の魅力と区役所の自慢を教えてください。

自慢は“人”ですね。お祭りやおみこしを通して人と人がつながっていて、江戸の文化を自然に体現しています。浮世絵や歌舞伎の文化も中央区で発展しました。江戸時代、鎖国の中で日本人のオリジナリティが形成され、日本人独自の美意識を磨いていった舞台です。

明治以降では、例えば渋沢 栄一が設立に関わった約500の企業・組織のうち、東京証券取引所、第一銀行などが中央区からはじまり、日本経済の礎を築きました。人の集積と過去からの流れの伝承、そこに根を張った今日のあり方は、最も胸を張れるところです。

区役所の強みは、日々の暮らしを支えるだけでなく、子育てや脱炭素、まちづくり、都市観光など、時代の変化や課題に対して常に先手で挑戦し続ける姿勢にあると思います。そしてなによりの自慢は、職員が一生懸命だということ。みんなが中央区に対してシビックプライドを感じている。そのことが日々の研さんにつながっているんじゃないでしょうか。