平成26年、兵庫県福崎町にある辻川山公園の池に河童が現れた。いや、よく見るとつくりものだ。おどろおどろしい表情で池の中から出てくるその像をひと目見ようと、ひっきりなしに人が訪れた。かくして辻川山公園は、一躍人気の観光スポットになったのである――。この仕掛け人こそ、福崎町役場の小川知男さんだ。公務員でありながら造形作家でもあるという、ちょっと異色な経
歴をもつ小川さんの頭の中を、少しだけのぞいてみよう。
※下記はジチタイワークスVol.9(2020年4月発刊)から抜粋し、記事は取材時のものです。
「池から河童を出す」というミッション
正直に言いますね。私、役場の中ではちょっと浮いている存在なんです。例えば大勢の前で資料を見せながら説明をする際、多くの人は数字などのエビデンスを用いてとにかく真剣に話しますよね。でも私は「せっかく聞いてもらうなら工夫しないと」と、あれこれユーモアを交えてしまうんですよ。「あいつはちょっとおかしい」なんて言われることもよくあります(笑)。
地域振興課への異動を命じられたのは平成25年のことでした。当時、福崎町は兵庫県下で観光客が来ない町ワースト3位だったのです。福崎町といえば民俗学者・柳田國男ゆかりの地ですが、そこを今さらアピールしたところで認知度はあがりません。柳田國男といえば河童だということで「公園の池から河童を出してほしい」と言ったのが、当時の町長でした。私は趣味で造形作品を作り、10年ほど造形作家として活動しているので「小川なら多少の知識はあるし、いけるだろう」と思ったのかもしれませんね。
自分の直感を大切に
町長が、いわゆる可愛らしい河童を所望していたことは、もちろんわかっていました。しかし私はあえて気味の悪さやリアル感を追求した妖怪の河童「ガジロウ」として、像を作ることにしたのです。この計画を知られると中止になる可能性もあったので、お披露目の時まで誰にも内緒で制作を進めました。案の定、「税金で何をやっている!」とあきれたり怒ったりと完成形を見た周りの人々の反応はほぼネガティブ。でも、地域住民や県外の方々からの反応は想像以上で、設置した翌日からものすごい数の人が押し寄せたんです。メディアに出る機会もたくさんいただき、一気に状況が変わりましたね。
その後も「全国妖怪造形コンテスト」を開催して注目を集めたり、まちのいたるところに「妖怪ベンチ」を置いたりなど、「妖怪」をもとにしたあらゆる挑戦を続けた結果、異動した平成25年はまち全体で24万8,000人弱だった観光客入込数が、3年間で40万人に増えました。 決して自信があったわけではありません。「何でこんなことを思いついたのか」と問われても、根拠はありません。絶対に、こっちのほうが面白いはずだと直感が訴えた。それだけです。何より、自分が面白いと思うものを信じたいんです。私を突き動かすエネルギーは、それに尽きますね。もちろん、そうまでして自分の意思を貫くからには「失敗したときには全責任を負う」という覚悟を常に持っています。
自分を貫いた先に答えはある
公務員は中立の立場でいなければならない。そんな思いからか、つい相手の顔色を伺って「自分」を消す職員が最近は多い印象を受けます。しかしこのままでは「まちおこし」や「地方創生」は、うまくいきません。じゃあどうすればいいのか。
自分のひらめきを、創造力を、信じましょう。その感性を身に着けるにはたくさんの経験が必要ですから、もっと外の世界に目を向けましょう。そのすべてが、「公務員」ではなく「個人」としてのあなたの可能性を引き出してくれるはずです。
PROFILE
平成4年に入庁。休日は趣味の造形作品作りに勤しみ、造形作家としても活動している。福崎町の動く妖怪像や、妖怪プラモデルは自身が原型デザインを手がけている。