ジチタイワークス

東京都新宿区

【区長の本音<1>新宿区長・吉住 健一さん】故郷・新宿をコロナ禍から守り抜く。

令和7年は、東京23区の区長公選制が復活して半世紀、都区制度改革により「基礎的な地方公共団体」と認められて25年の節目にあたる。この機会に、日本の首都を支える区長の皆さんの素顔と、その「本音」を連続インタビューでご紹介したい。初回は、23区の区長でつくる特別区長会の会長を務める新宿区区長の吉住 健一さんにお話をうかがった。

※インタビュー内容は、取材当時のものです。

新宿区長・吉住 健一さん

 

◆プロフィール

吉住 健一 (よしずみ けんいち) さん

昭和47年4月22日、東京都新宿区生まれ。日本大学法学部卒。新宿区議会議員(2期)、東京都議会議員(2期)を経て、平成26年11月より新宿区長。趣味はスポーツ、神輿、餅つき、読書。座右の銘は「和して同ぜず」。

 

こんなこと聞きました!

区長になるまで / コロナ禍との戦い / 区長の仕事とは / 職員に望むこと / これからの新宿区

議員秘書を目指すも、はじめは門前払い。

新宿区長・吉住 健一さん― まず吉住さんが「区長になった訳」をお聞かせください。

この質問は子どもさんとの集会でも必ず出るんです。でもドラマチックな話はなくて、前任の中山 弘子さんから後を引き継ぐようにとお話をいただきました。

― では政治の世界を目指したきっかけは

私はもともと秘書志望で入った人間なので、異色といえば異色です。小さい頃から歴史の授業が好きで、歴史を紐解く本ばかり読んでいました。かといって研究者という柄ではありません。ならば歴史に残るような人のもとで働きたい。そして出会ったのが与謝野 馨さんという政治家です(※1)

高校2年のときに与謝野さんの秘書になろうと思い定め、大学2年のとき、国会便覧で事務所を調べ、履歴書を持って訪ねました。なんの伝手(つて)もないので不審者として扱われて、とりあえず門前払いです。その後、選挙のときにアルバイトとしてお手伝いし、与謝野さんが文部大臣に就任されたときにお祝いの手紙を送ったところ秘書さんが面白いと思ったようで、月に1回ぐらい呼ばれてポスター貼りなど手伝うようになりました。そこで品定めされていたんだろうと思います。大学4年の秋に実質的に秘書として勤めはじめ、翌春に正式に秘書の名刺をいただきました。

※1:与謝野 馨 昭和51年に自由民主党から衆議院議員に初当選。内閣官房長官、財務大臣などを歴任。政策通、財政再建論者として知られ、消費税の導入を推進した。東京都出身。与謝野鉄幹・晶子の孫。平成29年死去。

― そこからどのような経緯で区長になられたのでしょう。

与謝野さんを支えていた重鎮の新宿区議会議員が引退するとき、後継者が見つからなかったんです。与謝野事務所に「吉住君をくれ」と声をかけていただいて、平成15年の区議会議員選挙に出ました。その後、平成21年の東京都議会議員選挙(※2)が大逆風で誰も手を挙げない状態だったので、要請を受けて出馬しました。区長選出馬も始めはお断りしましたが、最後は与謝野さんからの勧めもあってお受けしました。

※2:平成21年の東京都議会議員選挙 民主党が躍進する中、政権交代が焦点となる衆院選の前哨戦と位置づけられたため自民党には逆風となり、結果的に民主党が大勝した。

― ドラマがない代わりに、請われて新たなポストに就かれています。

同業者からはずるいねと言われます。自分でやりたいと言わないのに、結局引き受けているじゃないかと。偶然がもたらした結果かもしれません。 

― とはいえ区長として3回の当選を重ねています。

その意味では、コロナ禍に対して立ち向かえたことで、私としては一つの役割を果たせたと感じています。新宿区が故郷ですから、故郷を守り抜くという意味で。

初の地元出身区長。コロナ禍で深夜の巡回も。

新宿区長・吉住 健一さん

― 新宿区としては初の地元出身区長ですね。

だから新宿を普通のまちにしたい、という思いがあります。大学に入ったとき、同級生に新宿出身だと自己紹介すると「本当に人が住んでいるのか」「あんな危ない所にいるのか」と、どよめきが起きるんです。私は新宿ほどいいまちはない、と思っているのに、外から見ると異常なんだというのがそのとき、分かりました。少なくとも治安は良くしよう、歌舞伎町も秩序のあるまちにしようと思いました。

― 区長にとっては生活の場なのですね。

でも外からは歓楽街としか見られない。高層ビル街や歌舞伎町の印象しかないんですね。ここ20年ほどは新大久保あたりを見て「新宿ってアジアンタウンだよね」というイメージも定着しています。 

現状は、若い人が就職や入学で一瞬来て、すぐに家賃の安いところに移ってしまう。大量に引っ越してくるけれども大量に引っ越していきます。でも新宿は、ちょっと歩けばどこのまちにも気楽に入れるお店、楽しく過ごせる場所がある。そういう側面をもっと知っていただきたい。 

― 令和6年11月に区長就任10年をお迎えになりました。一番の思い出は

やはりコロナ禍への対応です。職員が真剣に立ち向かってくれたことに非常に感謝しています。 

これまで区役所と距離をとっていた業界の人たちも含めて、区と連携しないと立ち行かなくなることになり、対話が非常に増えました。例えばアフターバーと呼ばれる、深夜酒類提供飲食店(※3)はいわゆる風営法の対象で、警察、公安委員会が監督しているので、われわれはリストを持っていません。営業開始がだいたい夜中の1時からという業態です。ただ彼らとも会う必要があるので、一緒に勉強会を開きました。また国立感染症研究所の先生方が営業している状態を見たいというので、夜中に一緒に店をまわりました。一般の職員を送るわけにもいかず、自分で行きましたが、非常に貴重な経験でした。

この時期、東京オリンピック・パラリンピックの気運醸成の仕事をやっていた部署がありましたが、何年もかけて準備してきたものが全てキャンセルになりました。その担当部の皆さんが、歌舞伎町のお店に感染予防の手引きを配布することになったとき、僕たち仕事なくなっちゃったので一緒にやらせてくださいと手を挙げてくれた。このときは非常にうれしかったですね。

※3:深夜酒類提供飲食店 午前0時から日の出時までの時間帯に酒類を提供して営む営業。常態として主食を提供して営むものを除く。業態はバー、ダイニングバー、ガールズバーなど多岐にわたる。風営法により管轄の警察署への営業の届け出が必要。

― 新宿区役所の自慢を教えてください。

多様性に慣れているところでしょうか。これもコロナのときのことですが、ホームレスの人たちにコロナワクチンの接種をするとき、驚いたことに北関東のある県から外国人がバス1台で来たんです。

どういう事情なのか、不法滞在なのかどうかもわからない。でも新宿区の職員は機転を利かせて、手続きの時間を利用して結核の検査をしましょうと呼びかけた。2回目のコロナワクチン接種のときに結核の診断結果も渡しますと説明して、受診させて帰らせたんです。

この柔軟性です。現場の判断でやれることを精いっぱいやった。これは職員にMVPをあげたい。

区長の仕事は「オーケストラの指揮者」。

新宿区長・吉住 健一さん― 10年のご経験を通じて、区長とはどういう仕事だとお考えですか。

オーケストラの指揮者のようなものです。自治体の仕事は法律で定められているか、都道府県がつくった基準に従って進めるので、基本はオーソドックスです。ただまちの個性を出していく上では、同じ条例・条文にもとづいていても、法令に反しない範囲でどういうカラーを出していくかというところがあります。区の総合計画や基本計画に書かれていることを、具体的にここはちょっと強調しましょうとか、ここはさりげなくやっていきましょうといったグラデーションをつくっていく仕事です。
執行部で話し合ったことが行き渡るのに時間がかかる場合もありますが、正式に決まると、全員が一斉に動き出す。色々なパートに分かれている部署が、まさにオーケストラのように、一つの楽曲を演奏している状態になるわけです。

― とてもやわらかい語り口ですが、職員さんに対して敷居を高くしない配慮でしょうか。

元々が秘書志望なので、叱りつける指導者という存在ではないんです。普段おとなしい人の語調が強くなると、ちょっと怖いでしょう。一度そういう目に会うとなかなか近づいてもらえなくなると思うので、気をつけてはいます。 

― 新入職員の方に毎年、中国古典「呻吟語(しんぎんご)」の言葉を渡しているそうですが。

「呻吟語」という本は官僚のトップになった人が残した書物ですが、その中から職員自身に心がけてもらいたい言葉を選んで渡しています。

外部とぶつかって辞めてしまう職員や病気になってしまう職員もいるので、そんな気持ちにならなくてもいいんだよと伝えたい。いま採用される皆さんは本当に優秀です。ただ若い方は主にSNSでやりとりしていることもあり、面と向かって話すことや電話を取るのが苦手な場合もあるようです。

私自身も学生のとき、与謝野事務所の仕事で電話対応していると、聞いたこともない官庁とか、知らない会社名を名乗られて、まともに聞き取りもできずに苦労したものです。30年前の私がそうだったので、今の子たちもきっとそうだろう、最初に悲しい気持ちにならないでほしいなと思います。慌てなくていいよ、ゆっくり仕事を覚えて間違えないことが大切なんだと伝えたいですね。

いたるところに付箋が貼られた中国古典「呻吟語」。毎年この中から新入職員に言葉を贈っているという

いたるところに付箋が貼られた中国古典「呻吟語」。毎年この中から新入職員に言葉を贈っているという。

法律が障壁ならば「法律を変えてもらおう」。

― 公務員のあるべき姿、自治体職員の理想像をどうお考えですか。

私たちは法律や条例に基づいてしか動けない組織なので、基本には忠実であるべきです。イレギュラーな判断やサービスを提供し始めると不公平が生じるので、そこはしっかりやらなくてはならない。ただ社会の状況は常に変化しているので、絶えず情報をキャッチしながら今の時代、あるいは次の時代に何をしなければいけないかを同時に考えることが必要です。法の番人としての役割、忠実なサービスの執行者の立場と同時に、新しい時代に対応したサービスをつくり出す両面が求められています。

基本に忠実にやっていても、やはりまちの個性というものがあります。職員が2,700人いればみんな違う個性や得意分野を持っている。その才能、その人の感性を活かしながら、同じ事業でもやり方を少し変えてみると、新宿区ならではのサービスが出来上がってくると考えています。

― これからの時代、職員に新たに求められる資質は何だとお考えですか? 

職員は皆さん真面目で、特にコンプライアンスについてしっかりと叩き込まれているので、法律とか条例の上の障害があると、身動きできずに止まっちゃうんですね。 

もし法律が障壁となっているのであれば、法律を変えてもらうようにお願いしよう、というのが私のスタンスです。法律上できないことが合理的であればやむを得ませんが、制定されて何十年も経っていて今の時代に適合しないのであれば、意見を言いに行こうと。秘書時代や区議、都議の時代に知り合った方々と連絡を取り、キーパーソンに会わせていただいて要望します。

法律をつくる段階で働きかけることもあります。内閣府主導で、インバウンド効果を求めて、住宅宿泊事業法という民泊の法律ができましたが、それをつくる段階で新宿は反対だと強く言いました。

国は、海外の事例や田舎をイメージして民泊を推進しましたが、新宿では違法状態もしくは管理不全状態の固定化につながりかねない。課題を浮かび上がらせるために警察、消防、マンション管理組合などが入った会議体をつくりました。プレスリリースするとテレビ局などからも関心が寄せられ、民泊はいいことばかりではないと知らしめることができました。その後は厚生労働省から、条文をつくるときに照会が来るようになりました。新宿区の意見も採り入れた法律になったということです。

古いものと新しいものが共存し続けるまちに。

新宿区長・吉住 健一さん

― お休みのときは何をして過ごしていらっしゃいますか。

休みはほとんどありませんが、空いた時間には読書しています。歴史書が多いです。仕事帰りは飲みに行くので、休日よりも平日に遊んでいますね。区内あちこちの居酒屋さんに足を踏み入れます。

一人で行くときも、職員と一緒のときもありますし、まちの皆さんと一緒ということも多いですね。先日は、中国出張でご一緒した添乗員の方が私の行きつけの店の常連ということで、連絡を取り合って飲みに行きました。

― 区長はオーケストラの指揮者というお話でした。音楽もお好きでなのでは。

クラシック音楽が好きです。中学生のときに音楽の試験で、イントロを聞いて曲名を答える問題が出て、そのときにしつこく聞いていたら耳から離れなくなりました。区内で演奏会があれば行きますね。

区立の新宿文化センターは大改修中ですが、毎年、区民合唱団とイタリアの若き巨匠と呼ばれる指揮者バッティストーニさんが共演するイベントがあるんです。私が行くとその方が「文化事業を開くまちは多いが、首長が聴きに来ることはほとんどない」と喜んでくれた。おかげで海外の公演を断ってでも新宿には来てくれる。文化センター改修後のこけら落としにも出ていただけると期待しています。

― 新宿区の一番の魅力はなんでしょうか。

古いものと新しいものが共存しているところです。新しく来る人を拒否しない。引っ越してきた皆さんには、こんなに下町っぽいとは思わなかった、人間関係なんか希薄だろうと思っていたら活発なんですね、と驚かれます。新宿の歴史は内藤新宿という宿場町からスタートしている。人が往来するところなので、来るもの拒まずの気風があるんです。一方で古くからのお寺などを地域の誇りとして大事にされる区民が大勢いらっしゃって、最先端の部分と共存しています。 

― これから目指す区の姿は。

新宿のまちは戦争でほとんど破壊されてしまいましたが、復活も早かったんです。その名残が「思い出横丁」「ゴールデン街」です。駅周辺の再開発というと全部ビルになってしまいますが、この2つのエリアは、できるだけ従来の佇まいを残した上で、安全な建物に建て替えていきたい。

ゴールデン街は大きな火事が何度もありましたが、何とか再建してきました。どういうルールで建て替えるべきなのか、ここ7、8年かけて勉強会をやっていて、それがもうすぐ仕上がる段階です。今後どのように具体的な支援をしていくか。こういったことをまちの特徴として、残していきたいですね。

ジチタイワークス・西田 浩雅◆取材後記
世界最大の繁華街を抱える自治体のボスは、とても穏やかなジェントルマンでした。毎春、新入職員に贈っているという「呻吟語」の言葉は、頑張り過ぎずに息長く働いてほしいという願いを込めたもの。その懐の深さこそが、コロナ禍との戦いで新宿を崩壊から守る力につながったのかもしれません。(西田 浩雅)

 

次回は足立区・近藤 やよい区長です!

 

このページをシェアする
  1. TOP
  2. 【区長の本音<1>新宿区長・吉住 健一さん】故郷・新宿をコロナ禍から守り抜く。