ジチタイワークス

石川県珠洲市,千葉県千葉市

手探り状態で協力しながら進めた 罹災証明書交付業務のリアル。【防災特集】

現地職員・応援職員に聞く【罹災証明書交付】

地震や津波など甚大な被害に見舞われた珠洲市。現地では発災後、災害対応をどのように進めていったのか。

同市市民課の課長と、対口支援で現地に入った千葉市危機管理課の課長、両者の視点を通して、初動から復旧に向けたプロセスをたどっていく。

※下記はジチタイワークスVol.33(2024年8月発行)から抜粋し、記事は取材時のものです。


Interviewee
左から
石川県珠洲市
市民課 課長 高田 吉明(たかだ よしあき)さん
千葉県千葉市
総合政策局 危機管理部
危機管理課 課長 中野 保(なかの たもつ)さん

 

職員が登庁できず、情報も交錯し、発災時に現場は混乱を極めた。

能登半島地震では想定外の要素が絡み合い、多くの混乱を生んだ。そうした要因の一つが“元日の発災”という点だ。この事実が職員の参集を困難にしたと高田さんは語る。「市民課全職員の自宅に被害があったこと、道路の寸断が多発したこと、ガソリンが枯渇したことなどが重なり、当課の職員は半数程度しか登庁できない状況でした。加えて当初、現場は情報が少なく、交錯していたため、被害状況などの全貌を知るのは困難。それでもまずは人命優先で、避難所運営や物資の確保などに注力しました」。

後の調査で被害を受けた建物は5,342棟にもなることが判明。同市の世帯数は約5,800だったので、市内のほとんどの建物に影響を与えるほど、甚大な被害だったことがうかがえる。

同じ頃、千葉市では地震発生の連絡を受け、応援派遣について協議。指定都市市長会での調整を経て、震災発生から3日後には対口支援の派遣先が珠洲市に決まった。「すぐに宿泊先や移動手段の確保といった準備を整えつつ、職員を選定しました。当初は避難所の運営を想定しており、10人を派遣して5人ずつ24時間交代で進める前提で派遣職員を確保。その後、“罹災証明書の関連業務を行ってほしい”という要請があったため調整を行い、6日の朝に第1団の10人が出発しました」と中野さん。こうして、千葉市の支援を受けつつ、珠洲市での罹災証明書交付業務が始まった。

被災者対応の各フェーズに合わせて業務を切り替え、臨機応変に対応した。

罹災証明書交付受付は1月9日から開始。初日から約300人が殺到し、庁舎の外まで行列ができたという。高田さんは「当市は近年に大きな地震を経験しており、その記憶もあってか、住民の中に早く調査してもらおうという意識があったのだと思います。しかし、完全に許容数を超えており、交付時は別の場所を確保しなければと感じていました」と振り返る。

また、証明書を交付するために建物被害認定調査をしなくてはならない。これには応援職員のみで対応したという。「調査チームは15班、30人体制でした。千葉市は2班4人を2交代で担当。その後、罹災証明書交付が始まるタイミングで、そちらの業務に切り替えました」。

証明書の交付場所は両市で検討し、図書館を選定。すぐに準備に取りかかった。ここで問題になったのが新システムだ。次年度から運用開始予定だったシステムを、罹災証明書交付に合わせ前倒しで稼動させることになったが、マニュアルなどが未整備の状況。そこで高田さんの意見を聞きながら千葉市チームが急ピッチでマニュアル作成を行い、会場設営やシステムの操作研修会なども進めていったという。

会場の準備が整い、交付が開始されたのは震災から約1カ月後。初日の受け入れは80人と上限を決めた。「1件当たりの処理時間が予測できなかったので、高田さんと相談して決めました。その後は様子を見ながら、交付用の端末を増やし、マニュアルもブラッシュアップして効率化。ピーク時には200人以上に交付できるようになりました」。

▲ 罹災証明書交付の様子。試行錯誤しながら進めていった。

“職員も被災者”を心に留め、引き継ぎ後まで見据えて活動。

珠洲市での罹災証明書の交付受付はその後も続いたが、5月中旬時点では1日約20件に落ち着いた。ここに至るまでの過程で、課題にも気づかされたと高田さんは話す。「システムの稼働を前倒ししたとはいえ、もう少しマニュアルの作成を早めておけばよかったです。応援派遣の受け入れについても、事務処理のFAQがあれば効率化できたかもしれません。今回はそれすら間に合わなかったのが実情です」。そうした中、千葉市をはじめ各地からの支援によって救われたと付け加える。「私も家が全壊しましたし、ほかの職員も被災していたので、正直疲弊して、心が折れそうでした。本当に、皆さんの力がなければ、ここまでたどり着けなかった。感謝の一言に尽きます」。

ちなみに、中野さんは今回、ともに活動した松江市職員との引き継ぎタイミングをずらし、業務が円滑に継続されるよう配慮。声かけも工夫したという。「受援側には遠慮もある。それを踏まえ、具体的な提案が必要です。“何かありますか”ではなく“この仕事をやってもいいですか”と聞き、決定権は珠洲市にあるということも忘れずに、相談しながら進めました」。

 

地域を越えた連携が被災地を支えた今回の応援派遣。高田さんは“全員が仲間だと感じている”と力を込めつつ、「応援職員の皆さんの顔を思い浮かべながら、震災対応業務を完遂したい。そして今後は、被災者支援などを含め、恩返しをライフワークにしていきたいと思っています」と締めくくってくれた。

 

 

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