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「仕事の原動力は『怒りと悔しさ』」村川美詠さんインタビュー前編

昔に比べて制度が整い、男性の家事・育児参画も進んできたと言われているものの、その分「育児も家事もキャリアもすべて完璧に」と思い疲弊してしまったり、まだまだ家事・育児負担が女性にばかり重くのしかかったり…。

全国の公務員ママは何に悩み、またそれをどう乗り越えようとしているのか。

今回は、「公務員ママ」の先輩で、女性公務員向けの著書もある諫早市の村川美詠さんへインタビューを掲載。

長崎県の中央に位置する諫早市で、健康福祉部の次長を務めている村川美詠さん。4年制大卒の女性3人目として1986年に入庁し、子育てにも奮闘しながら、数少ない女性管理職へと歩みをすすめてきた。2019年10月に出版した著書「自分もまわりもうまくいく!公務員女子のおしごと帳」が好評で、2020年9月には2冊目を出版。

そんな村川さんに、公務員ママとしての体験談や悩める女性たちへのアドバイスを聞いた。前編と後編に分けてお届けしたい。

【公務員ママの「生きるヒント」】

(1)「自分の時間がゼロ」「夫婦格差にモヤモヤ」公務員ママのお悩み、大公開!
(2)両立のコツ&アイデア【お仕事編】
(3)両立のコツ&アイデア【家事&育児編】
(4)「原動力は『怒りと悔しさ』」村川美詠さんインタビュー前編←今回はココ
(5)「いくらでも挽回するチャンスある」村川美詠さんインタビュー後編

村川 美詠(むらかわ・みえ)さん

プロフィール

諫早市健康福祉部次長。1986年諫早市役所に新卒で入庁。
選挙管理委員会事務局、障害福祉室、職員課、男女共同参画課課長補佐、教育総務課課長補佐、職員課課長補佐、生涯学習課長、障害福祉課長を経て現職。

著書に、「自分もまわりもうまくいく!公務員女子のおしごと帳」「すべての働きづらさをふきとばす!公務員女子のおしごと相談室」(学陽書房)

 

―― まず村川さんが公務員になった理由と入庁当時の状況を教えてください。

村川美詠さん(以下、村川) 私が入庁した1986年は、男女雇用機会均等法の元年。4大卒の女性を採用してくれる民間企業はほとんどなくて、地元の諫早市役所を受けました。4大卒の女性は3人目で、お茶くみは当たり前のようにしましたが、大卒ではない先輩女性からはチクリと嫌味を言われたり、男性職員からのセクハラやマタハラもあったり…実はその頃の怒りや悔しさが、私の仕事の原動力になっています。

―― 大変だったのですね。そんな中でお子さんが生まれました。

村川 29歳のときに娘を出産しました。ちょうどその年に育児休業制度ができたのですが、1カ月しか休みませんでした。切迫流産の危険性があって妊娠が分かってすぐ入院していて、これ以上職場に迷惑をかけられないと思ったのと、育休中は無給で共済組合の掛け金も払わなければならなかったので、きつかったというのもありますね。

―― 職場に復帰するときは、お子さんを保育園に預けられたのですか?

村川 両親が「そんなに小さい子を保育園に入れるのはかわいそう」と、私が仕事に行っている間はアパートに来て娘をみてくれました。でも、娘が生後6カ月頃から1カ月半くらいは、解散総選挙の仕事で忙しすぎて娘を実家に預けっぱなしで、1度も会えなくて。深夜にアパートに帰り、寂しくて子どものビデオを見て泣いたりしていました。選挙が終わって実家に娘を迎えに行くと、久しぶりだからギャン泣きされて…切なかったですね。

―― 子育て期を振り返って、良かったことは何でしょう。

村川 子育ての経験ができたことは、私にとって大きな財産です。仕事をする上で、子育てされている市民の方の気持ちに寄り添うことができますから。例えば最近、乳児・妊産婦専用の避難所をつくったのは、自分が妊婦を経験したからこそ実感した困りごとがあったからです。ほかにも、障がいのあるお子さんや不登校の子どもがいる親御さんの気持ちを身近に感じられたり、ベビーカーで歩いてみてまちにバリアがあると気付いたりと、妊婦や母親になれたことは人としても仕事の上でも糧になっています。まあ、子育ての真っ最中はそんな風に考える余裕がなくて、毎日必死でしたけど。

―― 子育てについて、後悔していることはありますか?

村川 子育てを楽しまなかったことですね。子どもが小さい頃、仕事中にトイレに立つ余裕がなくてぼうこう炎になったこともあるくらい、常に時間に追われていて。運動会や卒園式に行っても職場に戻り、いつも仕事を気にしながら中途半端な気持ちだった気がします。子どもが早く大きくなってほしいと思っていましたから。でもね、そんな時代は2度と戻ってこないんですよね…。
子どもは育って離れていく時期が来るから、もっとしっかり子育てを楽しんでおけばよかったと思っています。それと、娘が不登校になったときは、もしかしたら幼児期にきちんと向き合えていなかったからかもしれないな、という思いがありました。母親は自分を責めがちですよね。

―― お子さんが不登校になられたのですか?

村川 はい、中学生のときです。どうしたらいいか分からず、子育ての講座に行ったりして、たどり着いたのが傾聴でした。娘は反抗期で話さないのかなと思っていたら、講座で学んだ傾聴を実践してみたら話すんですよ。ああ、私の聞き方が悪かっただけなのだと気付きました。
その後も私なりに様々なことを学んで、娘が高校生のときには娘に謝りました。「私、子育てを間違えたと思うんだよね。あなたの個性を無視して、私の枠に当てはめようとしていろいろ言ってきたのは申し訳なかった」と。セミナーで、気付いたらどんなに遅くても謝った方がいいと先生に習ったから。それで素直に謝ったら、娘は「良かったね、気付いて」って言ったんですよ(笑)。それからは良好な関係になりました。母親の練習ってないから、間違うこともありますよね。娘のおかげで、相手を尊重することや多様性を学ぶことができました。

―― パートナーとの関係はいかがですか?

村川 夫はサラリーマンで、若いときは私が主に家事と育児をしていたから、すっごいイライラすることもありましたよ。「あの人は電話1本で飲み会に行くのに、私は前から予約して、それでも子どもの調子が悪くなったら行けないって何なの!」みたいに。でも、私が部署を異動して、とにかく忙しい時期には早く帰れなくなって、自然に夫が家事と育児をするようになりました。
初めのうちは弁当や出前を食べていたようだけど、やっぱり飽きてきて自分でつくってみようということで、だんだん料理が上手になりました。私は夫がつくったご飯を食べて、夫がいれたお風呂に入り、夫が敷いた布団に寝て。当時、娘が「お母さん知ってる?よそではお母さんがご飯つくるんだって」と言ってましたよ(笑)。

―― 自然に助け合える関係は理想的ですね。

村川 特に話し合ったわけではないけれど、私がいないから必然的にそうなりますよね(笑)。ただ、夫が53歳になって、サラリーマンを辞めてバーをしたいと言い出したときは驚きました。「定年してからでいいっちゃない」とか「子どもの仕送りが終わってからにしたら」と言ったけど、「そのときは体力がないかもしれないし、今やりたい」と。それで「どうぞ」と言えたのは、私にも稼ぎがあり、私が仕事を続けられたのは夫が家事や育児をやってきたからです。夫が夢を叶えるために応援したいと思いました。

―― 娘さんはもう20代後半で、親子で仕事の話をしますか?もしかして娘さんも公務員になっていたりするのでしょうか…?

村川 いえいえ、娘は「絶対に公務員にはならない」と言っていました、自分に向いていないと思ったみたい。ただ、仕事の話はよくしますし、何となくリスペクトを感じることもあります。仕事のことやマネジメントに関して意見を求められて、働く先輩としては信頼されているのかなと思います。

―― 村川さんのこれからの夢を教えてください。

村川 あと2年で定年退職したら、地域で活動したいと考えています。役所で働いていると、わざわざ役所に来なくても、地域の支え合いで解決できそうだと感じることがいろいろあるんですよ。民生委員みたいな役割を担えたらいいなと思っています。
地域でお金や仕事がまわる仕組みをつくれたらいいなという思いもあります。例えば、専業主婦の人が家族3人分のご飯をつくるときに6人分つくって、共働き家庭に3食届けるようなコーディネートができないかなとか。専業主婦の人には仕事ができて、働く家庭は手作りのご飯を食べられて、どちらも幸せですよね。まだ具体的には全然考えていないし、仲間が必要ですが、せっかく市役所で長く勤めてきた経験を活かして、いろんな人たちと関わり合っていけるといいなと思います

後編では、村川さんに公務員ママのお悩みにご回答いただきます!

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