2018年の働き方改革関連法の施行やコロナ禍は、自治体職員の働き方にも大きく影響を及ぼしている。緊急事態宣言中に全国でテレワークやリモートワークが広がった一方で、役所のテレワーク普及率は低いまま。こうした状況を受けて「公務員としてのキャリア」に不安を感じた職員も少なくないかもしれない。しかし、昨今では公務員のキャリアの選択肢は広がりつつある。
今回のレポートは、全国の自治体職員に先進事例やスキルアップ情報を届ける「ジチタイワークス」が、新しいキャリアへの挑戦を応援するYOUTURNと共催したオンラインイベント「自治体職員のキャリアを考える。」についてのもの。自治体職員からそれぞれ東京都中野区長、群馬県高崎市議員、民間企業に転身した3人と、自治体職員を続ける選択をした福岡市の現役職員に話を聞いた。
登壇者
■現役職員
福岡市 交通局総務部長 今村 寛 さん
■自治体職員→首長
中野区長 酒井 直人 さん
■自治体職員→議員
高崎市議会議員 荒木 征二 さん
■自治体職員→企業
株式会社ホープ メディア事業部長 種子田 宗希
コーディネーター
株式会社YOUTURN 取締役 高尾 大輔 さん
訪れた転機「キャリアチェンジか、今の職場にとどまるか」決断の理由とは
──本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、今のお仕事についてと、その仕事に就く転機となった出来事やそれまでの経緯をお聞かせください。
酒井:酒井です。中野区役所に22年間勤めたのち区長選挙へ立候補し、2018年に中野区長に就任しました。中野区役所の中で働くことにはやりがいを感じていました。ITを取り入れることで役所の仕事は大幅にコストダウンや効率化できる。中野区は当時、電子決裁率日本一にもなりました。そんな中で区長になろうと思ったのは、区役所の中で働く職員のモチベーションが下がっていることに気づいたからです。トップダウン方式の区政により職員はトップの顔色をうかがい、区民との協働がまったく進まなくなってしまったと感じました。中野区を良くするためには誰かが立ち上がらなくてはならない。そう思ってから、辞めると決めるまでの一週間、ほとんど寝られませんでした。
中野区長 酒井 直人さん
荒木:僕は2018年に高崎市役所を退職し、2019年から高崎市議会議員として活動しています。僕の場合は、性格の面が大きいと思います。新しいことへのチャレンジを怖がらない性格と言いますか。前職は自治体の技術職だったのですが、ほかの職員と比べるとイベントを通じて様々な人と関わるチャンスがありました。多くの人と出会ううちに、そうした人たちを「応援しなくちゃ」という気持ちが強くなっていきました。ところが、自治体職員としてできることには限界があります。直接手を差し伸べられる仕事に就きたいと思うようになっていきました。
今村:僕は今も福岡市職員なのですが、これまで何度か辞めようと思ったことはありました。そう強く思ったのは、福岡市の財政課で係長をしていたときのことです。でも、大学を卒業してすぐに自治体職員になり、役所しか知らないものですから。辞めて何をするのか、外で自分がどんな風に役に立つのかについては、答えを出せませんでした。転機は東京財団での派遣研修の機会をいただいたことです。東京で4カ月、米国のポートランドで2カ月計6カ月の研修に参加し、役所、福岡、家族から離れて過ごしました。それがきっかけで仕事への向き合い方が変わりました。それから4〜5年して、あんなに嫌だった財政課に今度は課長として戻ることになったんですね。「戻るのならもう、仕事のやり方を変えるしかないな」と思いました。そこで出前講座やオフサイトミーティングを企画しました。やっていくうちに、役所の中だけでなく、外にもどんどんつながりの輪が広がっていきました。僕が役所の外側の活動を広げていくにつれて、「そのうち役所を辞めるんだろう」と思われ始め、実際に「辞めないの?」と聞かれることも増えてきました(笑)が、そこで改めて考えてみると「役所の中でやりたいこと、できることはあるな」と。役所の人間だからこそできることがあると気づいたのです。今はとても充実しています。
選択に不安はつきもの。「踏ん切り」をつけてくれた出来事
──これまでは選択の経緯をお聞きしましたが、決断には不安も伴います。辞めるにしても続けることにも不安はあったのではないでしょうか。どんな不安があったのか、それをどのように解消したかお聞かせください。
酒井:選挙に出ると決めてから、自治体職員を辞めるまでは2週間くらいでした。でも、やっぱりお金のことが心配でしたね。子どもは小学校3年生でしたし、住宅ローンはあと25年も残っている。踏ん切りがついたのは、いきつけだった喫茶店のママの言葉でした。ママと言ってもその人は私よりも若いんですけど。その人は大手メーカーから脱サラした人で「人間、何でも食っていけるよ」って背中を押されたのです。目の前の脱サラした人がそう言うなら、そんなもんかな、と。
──いろんな方のお話をうかがっていると、ふとしたきっかけで決める人は多い印象です。何が決め手になるか分からないものですね。その喫茶店に行っていなかったら、決められなかったかもしれませんね。
荒木:僕も住宅ローンもありますし、経済的な心配は大きかったです。でも実はお金のことよりも、選挙の方が怖かったかもしれません。議員は選挙で選ばれますが「落選=認められない」と思っていたので。落選そのものより「認められなかった」という事実を自分が受け止められるかの方が心配でした。当選確定の知らせを受けるまでは怖かったですね。
──人によっては結果を知るのが怖いから出馬しないでおこう、と考える人もいると思います。荒木さんは恐怖を抱えてまでなぜ出馬しようと思ったのでしょうか?
荒木:先ほどの喫茶店ママの話ではありませんが、いろんな方を見ていて、好きなことをやっている人は強い、と思っていたからでしょうね。好きなことができている人は、経済的な悩みから解放されている。体さえ健康ならなんとかなると思いました。
高崎市議会議員 荒木 征二 さん
酒井:荒木さん、選挙に出てみたら強烈だったでしょう?公務員の想像を絶する世界ですよね。
荒木:区長選挙と議員選挙はスケールが違うとは思いますが、本質的にはそうですよね。なんでこんな目に遭わなくてはならないんだろう、という。
──世の中で評価されている方というのは矢面に立てる方ですよね。酒井さん、荒木さんは矢面に立つ恐怖を乗り越えて今に至る方々だと思います。一方、お二人とは違う残る選択をされた今村さんにも不安があったのではないでしょうか?お聞かせいただけますか。
今村:市役所を本気で辞めたいと思ったのは30代の後半だったわけなのですが、辞めて何をするかが決まっていませんでした。自分を変えたいと思っていたときに、たまたま東京財団の研修と出会えたのはラッキーだったと思いますね。もう一つ転機となったのは、財政課に課長として戻ることになったときのことです。財政課を変えるというのは、人から言われたことではありません。出前講座も最初は完全に個人活動として始めました。自分の中でやりたいと思うことを、他人の力を借りずにやって来たことが認められたのだと思っています。先ほど、選挙は「認められるかどうか」という話がありましたが、僕の出前講座もそういう意味では同じだと思います。出前講座は、これまで200回以上やって来ましたけど、始めるときはこんなに長く続くとは思っていなかった。自分が本を書けるようになるとも思わなかった。衝動に突き動かされて、後先考えずに行動するって大きいのではないでしょうか。僕の場合は辞めていないので、経済的な心配がなかったことは幸いだったかもしれません。
──半年間の研修に参加していなくても、自治体職員としての転機を迎えられたと思いますか?
今村:転機は迎えられなかったと思います。ただ、研修が終わったからといって、そこで学んだことがすぐに業務の役に立ったわけではありません。帰ってきて配属された部署は研修内容とは全然関係ない部署でしたし、研修で知り合った仲間も全国各地に散らばっていましたし。「せっかく学んだことが活かせない」と、その後の3〜4年は悶々として過ごしていました。大きなきっかけはやはり辞めたいと思った財政課に課長として戻されることになったことでしたね。そこで火が着いた感じです。
福岡市 交通局総務部長 今村 寛 さん
──行動を起こしてみたものの、全然評価されなかったらどうしようという不安はありますよね。衝動の赴くままに行動するって大事かもしれません。では、この中で唯一自治体から民間に転職された種子田さん、いかがでしょうか。不安はどのように昇華されましたか?
種子田:正直、不安はすごくありました。独身なので経済的な不安はありませんでしたけど、民間は厳しいのではないか、通用しないのではないか、と思うと動悸が止まらないくらい悩むこともありました。それを解消できたのは大学院に行ったことが大きかったです。民間に就職するなら、経営を知っておく必要があると思って。大学院に行けばきちんと学歴という形で残りますし。大学院でいろんな人と交流する中で、一歩を踏み出す勇気をもらえた気がします。私の場合、小中高とずっと小林市にいたので外の世界を知りませんでした。大学院に行ったのは新鮮でした。
株式会社ホープ メディア事業部長 種子田 宗希
──種子田さんはずっと小林市にいたので、自治体職員を辞めるのは小林市に対する裏切りになると思いましたか?
種子田:すごく思いました。当時、経済産業省へ出向できるチャンスがあり、それも本当は手を挙げたかったのです。でも、辞めるかもしれないと思うと、それはできませんでした。自治体職員は民間のように欠員が出たからといってすぐに補充できるわけではないと聞いていましたし、辞めてほかの人に迷惑がかかるのではないかと思い踏み切れませんでした。それでも今の仕事に変わろうと思ったのは、自治体というフィールドは変わらないと思ったからです。今働いている「ホープ」という会社は、自治体に特化したサービスを提供する会社なんです。結果的に小林市に貢献できる、と整理して決断しました。
──自治体とまったく関係のない業界だったら、気持ちの整理の仕方も違ったかもしれませんね。
<登壇者プロフィール>
1991年福岡市入庁。産業廃棄物指導課、都市計画課、企画課等を経て、2012年4月より務めた財政調整課長時代の経験を元に「ビルド&スクラップ型財政の伝道師」として、「出張財政出前講座with SIMULATIONふくおか2030」を携え全国を飛び回るほか、福岡市職員を中心メンバーとするオフサイトミーティング「明日晴れるかな」を主宰。2016年、経済観光文化局創業・立地推進部長、総務・中小企業部長を経て2020年から現職。
著書「自治体の”台所“事情 "財政が厳しい”ってどういうこと?」2018年12月発刊。
1971年10月14日生まれ。岐阜県出身。早稲田大学法学部、同大学院法学研究科修了後、中野区役所入区。議会事務局、財務会計システム担当、広報担当(副参事)、地域包括ケア推進担当(副参事)を歴任。電子決裁率日本一(当時)となる区役所の電子化、中野区歌「未来カレンダー Forever Nakano」の作成、「中野区地域包括ケアシステム推進プラン」の策定などの実績の他、自治体の改善運動を全国で支援するネットワーク「K-NET」立ち上げ、中野のまち情報を交換するfacebookページ「中野ファン」立ち上げ、まちの清掃ボランティア等にも意欲的に参加。第一回中野区検定1級、中野区ものしり博士号取得。
中野への想いから中野区役所を退職し、中野区長選挙に出馬。2018年6月中野区長就任。子育て政策、地域包括ケアシステムの構築と併せて、自治体の風土改革に取り組んでいる。
1972年生まれ。熊本県出身。1997年、福井大学工学研究科卒業、高崎市入庁。都市計画課、建築指導課、スマートインター整備室を経て、2014年、産業流通基盤整備室計画担当係長。2018年、高崎市役所退職。2019年から高崎市議会議員。高崎市職員だった頃から市職員を中心として活動する「TAKASAKATSU!(タカサカツ)」のメンバーとして対話を通じた地域活動を展開。その後、市職員の自主研究活動「だるマルシェ」にも参画。
また、群馬県内の公務員ネットワークである「上州OM」にも積極的に参加するなどして、地方公務員が主人公になれる地域活性化に取り組む。現在は、市職員時代の経験を生かして議員として活動中。
株式会社ホープメディア事業部長 種子田 宗希(元小林市職員)
1987年生まれ。2005年、宮崎県小林市役所に入庁。農林業、商工観光、企画と10年半多岐にわたる業務を経験。2015年10月に株式会社ホープへ転職。営業、仕入部門を経験し、2017年7月より新規事業開発を担当。
自治体職員向けメディア「ジチタイワークス」を創刊。2019年7月から現職。MBA経営学修士。
福岡県出身。北海道大学卒業。2005年リクルートエージェントにて人材紹介のキャリアをスタート、2009年よりプロコミットにてベンチャー企業に特化した転職支援に従事。2018年よりYOUTURN。取締役として人材紹介事業責任者を務める。2019年リクルートキャリア主催「GOOD AGENT AWARD」にて大賞・オーディエンス賞をダブル受賞。(国家資格キャリアコンサルタント)