令和6年4月に公表された「地方自治体持続可能性分析レポート」。消滅可能性自治体に分類された地域の多くは“財政のひっ迫や専門人材の不足”“住民の意識や協力不足”“地域経済・産業の停滞”などの課題を抱えているのが実情のようだ。それらの課題を、いかに解決・打破するかが、消滅可能性からの脱却を図るうえでのカギとなるだろう。
そうした中で大衡村は、10年前に「消滅可能性自治体」リストが発表される前から取り組んでいた3つの施策が複合的に奏功し、東北地方では唯一の「自立持続可能性自治体」に区分された。取り組みに着手したきっかけや、施策効果の推移などについて話を聞いた。
※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。
世帯数:2,099世帯
※令和6年7月末現在
大衡村は、全国植樹祭の会場となった「昭和万葉の森」や「達居森」に代表される豊かな自然環境に恵まれ、明治22年の村政施行以来、135年目を迎えている。
Interviewee
宮城県大衡村企画財政課
課長補佐 金子 守治(かねこ しゅうじ)さん
早期着手した施策の3本柱がかみ合い、人口増に転じる。
子育て支援、企業誘致、移住促進の3つは、自治体の持続可能性を高める施策の代表的なものとして、数多くの自治体が取り組んでいる。ただ、いずれも短期間で成果があらわれるものではなく、どれか1つの策に注力するだけでも、行政側には大きな業務負担が生じるケースが多い。
例えば移住促進策を進めるためには、Uターン・Iターンを呼びかける業務ばかりではなく、居住区や住居の整備、現地での雇用先確保とあっせん、そのほか多くの事業を並行して進めなければ、せっかくの移住者が再び転出する結果を招きかねない。
「当村も、子育て支援と企業誘致、居住区開発を中心としたまちづくり対策に注力してきました。今回のレポートで『自立持続可能性』を評価されたのは、3つの取り組みがうまい具合にかみ合った結果だと考えています」と、金子さんは分析する。
ただし同村の場合、それらに着手したのは、平成26年に発表された「増田レポート」よりかなり前で、特に企業誘致に関しては、昭和40年代半ばに「大衡村総合計画」を策定した時点で対策をスタート。「農業以外の産業がほとんどなかった村の経済構造を改革するため、『農工並進』というスローガンを掲げて、地域振興整備公団による『仙台北部中核工業団地』の開発につながりました」。
子育て支援に関しても、それまで乳幼児向け医療費助成しか実施していなかったものを、平成14年度から一気に中学生まで助成対象を拡大。その2年後には、対象を高校生まで拡大している。
移住者を増やすための居住区開発も、工業団地開発とほぼ同時進行で進めた。東北地方唯一の政令市である仙台まで25kmほどしか離れていない同村の周辺の町では、ベッドタウンとしての住宅開発がかなり以前から行われていた一方で、大衡村では工業団地の近隣地の多くが、住宅の新築などが制限される市街化調整区域という、独自の事情があった。
せっかく企業が進出しても、社宅や寮などに割ける土地が狭いと、人口増にはつながらない。「仙台北部中核都市開発の計画で住宅ゾーンとされた地区の開発に加え、村が地区計画を定めて二つ目の住宅団地を造成しました」。
平成22年から団地の分譲を開始し、その後の子育て支援策などと相まって、同村人口は徐々に増加に転じていた。そんな中で発表された増田レポートだったため、職員の多くは、“この状態なのに消滅可能性自治体?”といった反応だったという。
「ただ、内容をしっかり確認したところ、若い女性の人口割合が問題ということが分かりました。それまで、子育て支援を頑張って進めてきましたが、子育て中の世代だけではなく、次に子育てをすることになる世代にも目を向けるべきだと、気づくきっかけになりましたね」。
先手を打って実施することで施策の効果が高まる。
大衡村の3施策は、いずれも“先手を打つ”形で進めてきたのが特徴といえる。例えば、医療費助成対象を中学生までとする自治体が増えてきたのは、平成25~26年あたりからだが、同村はその約10年前から子育て支援策の柱として同施策を開始。「全国でも3例目ぐらいだったと記憶しています。メディアに取り上げられたことで注目されたようです」。
平成16年には対象を高校生まで拡大しているが、その動きが全国的に広まってきたのは、ここ数年のことだ。こども家庭庁の調査によると、令和5年4月末時点でも、高校生までを医療費助成対象としている市町村は全体の7割程度(所得制限付き・一部自己負担の自治体もあり)なので、かなり早い取り組みといえる。
金子さんがいう“次に子育てすることになる世代にも目を向けた子育て支援”も、先手を打つ取り組みにほかならない。「農業以外の産業が少なかった当村では、高校卒業後は進学や就職のために村外に出るケースが大半でした。この状態は、今後も大きくは変わらないと思いますが、いったん外に出ても、子育てで戻ってきたり、村に住み続けて工業団地内の企業に就職したりする住民が、1人でも増えればいいと考えながら施策を継続しました」。
工業団地に隣り合わせるかたちで造成した住宅団地は、村外からの転入はもちろんのこと、住民の村外流出を抑止する効果も大きかったという。というのも、工業団地周辺に住む農家の次男、三男は、市街化調整区域の縛りのせいで戸建てを新築できず、村外に住まわざるを得なくなるケースが多かったのだ。
「ある報道番組で、どこかの首長さんが、『移住を希望している若年層を、近隣自治体同士で取り合いしているだけではないのか』と発言されていました。その言葉が、今でも頭のどこかにこびりついています。当村は、他自治体の移住希望者を誘致することより、村に住み続ける、あるいは子育てや就職のためにUターンする人たちを増やす施策を推進するのも大衡らしいと考えています」。
その一環として、まだ構想段階ではあるものの、進学で村外転出するが将来的にUターンする意思のある高卒者に対する奨学金制度の創設を検討しているという。
▲ 村が独自に地区計画を定めて造成した2期目の住宅団地。約11億円をかけ108区画を整備したという。
村の地道な取り組みと県知事の積極的な活動で大型誘致が実現。
大衡村が、消滅可能性都市から自立持続可能性自治体に転じる大きなきっかけとなったのが、第二仙台北部中核工業団地へのトヨタ自動車東日本(以下 トヨタ東)の進出だ。※
「第二団地は平成13年に分譲開始したのですが、しばらくは“ススキ野原”と呼ばれるような状態が続いていました」。それでも同村は、県内高校の進路指導教諭を招いて団地内の企業見学ツアーを実施。就職希望の生徒たちに、地元製造業の魅力を伝えてもらうようアピールするなど、地道な活動を続けた。
「トヨタ東が進出先を探しているという情報を得て、県知事が率先して誘致活動に動き始め、平成19年に神奈川県から本社工場が移転することとなりました。私自身も移転決定後、旧本社工場を見学に出向き、当村の第二団地なら工場拡張や増設を思いっきりやっていただけると確信しました」。
自動車産業は裾野が広い。メーカーの組立工場が進出すれば、2次・3次サプライヤーも近隣に進出する可能性が高まり、地元企業との取引関係が発生することも珍しくはない。
県知事も、自動車産業を誘致することで経済の底上げを図ることをスローガンに掲げた。工業団地最寄りに新たなインターチェンジを設置したり、トヨタ東のサプライヤー群との取引を希望する地元企業に声をかけ、懇談会を定期開催したりと、精力的に動いたという。
同村も、自動車関連の専属職員を2名配置し、県と一体となって動いた。「100人足らずの職員数なので、必要なときは庁内横断的に連携できたのが良かったと思います。トヨタ東側も、進出先にスピード感のある対応を求めていましたからね」。
ちなみに東日本大震災の発災時、同村の工業団地ではそれほど大きな被害は発生せず、復旧も早かったという。「工業団地が立地しているエリアの地盤は、非常に固い岩盤で構成されているそうです。おそらくトヨタ東も、そうした情報を事前に調査し、移転を決定したのではないかと推測しています」。
トヨタ東の進出について金子さんは、「決めたのは先方であり、県知事のトップセールスがあったからで、当村の職員だけの手柄ではありません」と謙遜する。しかし、歴代村長が「農工並進」のスローガンを貫き続けたこと、工業団地の整備と同時に住宅団地造成なども進めていたこと、そして、村内に進出した企業を「企業村民」に位置づけ、住民と企業とが一体となってまちづくりを進める姿勢が、トヨタ東に評価されたのは間違いないだろう。
※ 大衡村に進出した時点では、トヨタ東の前身にあたる「セントラル自動車」
避けようのない人口減を緩やかにするために流出を抑制。
トヨタ東の進出に続き、大衡村にさらなる上向きの風が吹きはじめた。令和5年秋、台湾のファウンドリー(半導体受託製造)大手である「PSMC」が同村の第二団地内に新工場を設立する計画を発表したのだ。30以上の国内自治体が誘致を申し出たが、トヨタ東の誘致にあたって県と同村とが進めてきた様々な工業インフラの整備や、周辺の住環境などが決め手となったようだ。
▲ トヨタ東に続き、台湾大手の半導体工場の進出が決まった第二仙台北部中核工業団地。
「おおよその操業開始時期は決まっているようで、村としても下水道整備などを行わねばならないのですが、まだ詳細な情報は伝わっていません。ただ、PSMC側からインフラなどに関する要望が出た際、迅速に協議・対応できるよう県が専門部署を設けたほか、当村でも臨機応変に対応できる体制を整えているところです」。
産業活性化という点では、極めて大きな効果が見込める半導体工場の進出だが、自治体の持続可能性を左右する地域人口に関して、金子さんは冷静に見ている。「トヨタ東進出時もそうでしたが、工場が当村内にあるからといって、従業員もそこに住むとは限りません。もう少し便利な仙台市寄りの地域に住み、職場へは公共交通機関を使って通勤する人が意外に多かったのです」。
昭和30年代前半頃まで盛んだった亜炭鉱が廃採となり、人口が一気に5,000人台まで減少したという同村。その後、様々な社会要因で増減を繰り返したが、企業誘致や医療費助成による子育て支援などが奏功し、令和元年には一時的に6,000人超えを記録。その後、村外流出や自然減などで、現在は5,500~5,600人ほどに落ち着いている。
「再び消滅可能性都市とならないようにするには、無理に外から呼び込むことより流出を抑えることの方が重要ではないかと考えています。実際、消滅可能性から脱却できたのも、住民のための施策を住民とともに進めてきた成果ですから、そこは確実に守っていきたいですね」。
将来の人口減少は、国全体が抱えている避けようのない課題だ。「減少するにしても、できるだけ緩やかなカーブにする。そのためには、村に住み続けてくれる若者たちが子を産み、子どもたちの声がにぎやかに聞こえてくるような村を目指すべきだと考えています」と金子さんは話す。
「人口目標に関して、議会との間で意見のすり合わせに苦労したことも聞いています。しかし、現実を見据えた無理のない設定にすることが、結果的には職員のモチベーションを維持することにつながるのではないでしょうか」。
コンビニエンスストアが4軒しかなく、大型商業施設に行くには、クルマで片道20分ほど走らなければならない同村。決して生活利便性が良い地域とはいえない。「それでも、ここに住み続けたい、大学を卒業したらUターンしたいと思ってくれる住民を増やしていくには、やはり地域資源と地域特性を活かしながら、村の魅力を高めていくことが肝要なのです」。
増田レポートの影響もあってか、各地の自治体が移住促進策に力を入れている。そんな中で、住民に寄り添った施策と、地域の魅力を高めて流出者を減らすという大衡村の将来設計は、消滅可能性都市からの脱却を目指す多くの自治体の、モデルケースとなり得るかもしれない。