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公務員から民間へ転職、家族のピンチを救うための決意。

「公務員は人事も評価もブラックボックスだ」と思う人は少なくないのでは。人事異動が頻繁にあり、自分が思い描くキャリア形成が難しいと感じることも。その結果として、人事異動や転職の際の自己PRがうまくできずに尻込みしてしまうという悩みも多いだろう。

そこで今回、実際に公務員から民間企業へとキャリアチェンジを経験した元県庁職員の高橋さん(仮名)に、公務員時代に磨いたスキルや、民間へ転職した今、公務員の人事評価について思うことなどを語ってもらった。前・後編に分けて、今回は前編をお届け。

【前編】公務員から民間へ転職、家族のピンチを救うための決意。 ←今回はココ
【後編】公務員経験で培った“つながり”がスキルになる。 

■お話を伺った人

高橋さん(仮名) 30代
関東地方の某県庁職員から民間企業へ転職。家族は妻と子ども4人。

順調なキャリアの裏で、やりたいことができないモヤモヤも

理系卒=研究職という常識に捉われない発想

ーー そもそも、なぜ県庁職員になったのでしょうか?

高橋さん(以下、敬称略) はい。都内の大学に通っていたのですが、理系の学部で学んでいました。大学3年生の夏、同級生と就職の話をしていたときに、公務員というワードがふと出てきたんです。

当時は公務員になるなんて全く考えておらず、理系の学生はほとんどが大学院に行って研究者になるルートがメインでした。自分もそのルートだろうなと考えていたのですが、一方で早く社会に出たい気持ちもあって、公務員のことをいろいろ調べてみたんです。そしたら“化学職”があることを知りました。仕事内容は、浄水場で水質検査をするとか大気汚染対策をするとか、これまで大学で学んできたことが生かせる内容だったので、「これだ!」と

ーー なるほど、みんなと同じルートをあえて選ばなかったということですね

高橋 もちろん、研究職になっても社会に貢献できるのですが、当時は公務員という仕事の社会貢献性に惹かれ、そこに魅力を感じ研究職ではなく公務員を選択しました。この後詳しく話しますが、公務員時代の経験は自分のキャリアにとってもすごくプラスになっていると思います。

認識を大きく変えた東日本大震災

ーー 県庁時代はどのような仕事をされていたのですか?

高橋 環境部という、環境行政に関する様々な施策を立案・実行する部署にいました。循環型社会やSDGs、自然共生、脱炭素といったキーワードがあって、安全な大気環境や生活環境の保全などについて化学職としての立場で課題解決に取り組んでいました。

ーー 県庁時代にキャリアを考えるきっかけになった出来事はありますか?

高橋 入庁して6年目ですが、東日本大震災があって、その復興支援で半年間福島県に派遣されたんです。危機管理対応の最前線で働く皆さんを目の当たりにして、自分を見つめ直すきっかけになりました。寝る間も惜しんでずっと住民の皆さんのために何ができるのか、何か役に立てることはないのかって。真剣に考えました。

これまでももちろん、住民の皆さんの役に立つことをしてきたと思ってはいましたが、あの状況を目の前にすると、自分の行動がリアルに人の役に立っていることを実感できましたし、“もっと地域に貢献したい”という気持ちがより一層強くなりました。

その後、勤務地に戻って、県庁以外の自治体の人とかも一緒に様々な問題解決のやり方を勉強したり実践したりするNPO団体に所属し、SDGsをはじめ地域の課題解決につながるための組織改革などを手がけるようになりました。

やりたいことと組織のロジックの板挟み

ーー NPOの活動で得られた組織改革のスキルは、県庁でのお仕事にも生かせたのでしょうか。

高橋 それが、いろいろ壁がありまして……。一番大きかったのは、私自身が化学職採用であったため、異動を希望しても環境部や企業局、あるいは環境管理事務所や浄水場等の地域機関に限られてしまい、一般職が就くポストへの異動が難しく、現実的ではないことです。

これは県庁という組織の都合上どうしようもないことですし、上司との面談の際に、それなりにアピールはしてみたのですが、なかなか希望通りにはいかなかったですね。

組織横断的に業務改善を社会問題や住民課題を解決するような動きができたらと思っていましたし、県庁内にそういう部署もあったのですが、化学職として異動するのは難しかったです。

ーー なるほど、公務員の方はただでさえ希望通りの異動は難しいと聞きますね

高橋 ただ、所属している部署の業務改善などは積極的に行っていました。また、SDGsと環境問題は親和性が高いので、職員向けの普及活動や県主催で行う住民向けの講習会などで持てるスキルを活かす機会はありました。

ーー やりたいこととはある程度できていたけど、それだけでは満足できないですね

高橋 化学職としてのキャリアも順調で、成果もしっかり出せていましたし、上司からも評価いただいていました。ただ、ずっとモヤモヤを抱えていたので、キャリアについてものすごく悩んでいた時期ですね。

コロナ禍における仕事と家庭の両立の難しさ

ーー 内面ではモヤモヤを抱えつつも順調にキャリアを積んでいた高橋さんですが、あるとき職場のある自治体を離れ、石垣島への移住を決断されたそうですね。きっかけは何だったのでしょうか?

高橋 4人目の子どもが生まれてバタバタしている中、新型コロナウイルス感染症が流行し、家庭内が本当に大変になったんです。保育園が休園して、上の子たちはずっと自宅にいるし、さらに赤ちゃんの育児も重なり、妻が過労で体調を崩してしまって。県庁でもリモートワークが導入されたので、私は自宅で仕事をしながら家事・育児をしていたのですが、それでも全く家庭内がまわらない状況でした。

仕事は楽しいけれど、今は、もっと家庭に軸足を置くべき時期だと考えるようになり、退職することも含めて上司に相談したんです。すると、「いきなり退職ではなく、まずは育休を取ってはどうか」と言われて。いい機会だと思ってしばらく仕事を休んで家族としっかり向き合うことにしたんです。

コロナ渦で外出制限がかかっていた当時、家庭の一番の課題は“子育て環境でした。親の負担が少なく、子どもがのびのびと過ごすにはどこで子育てするのがいいかを家族で話し合って、令和4年3月に石垣島への移住を決めたんです。

ーー 東京近郊の都市から石垣島とは、かなり思い切った決断ですね

高橋 移住前の自治体にも緑豊かで暮らしやすい場所はあったのですが、そのとき、“家族のためにベストを尽くす”ことが第一優先だったので、学校も保育園も近くて温暖な場所にしました。何度も家族で話し合い、まずは目の前の子育てを何とかしなければと。

移住してしばらくすると、子どもも妻もみるみる元気になって、幸福感が増したように感じます。

ーー その後、石垣島に定住されることになるのですね

高橋 はい。家族の状況は良くなってはいましたが、元の環境に戻ったら、“保活”など子育てにまつわる様々な問題が浮上することは目に見えていました。何よりも石垣島の自然環境が子どもにも良い影響を与えていることが実感できたので、もう少しここにいたいなと思い始めていました。

そのことを正直に上司に相談したら、上司もなんとかできないかと、石垣島にいながらリモートワークができないか、いろいろ庁内で働きかけてくれましたが、結局は難しいという結論になり、退職し転職活動を行うことになりました。
 

【後編】公務員経験で培った“つながり”がスキルになる

 

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