ジチタイワークス

宮崎県日南市

宮崎県日南市 市長 﨑田恭平さん スペシャルインタビュー ~新・官民連携を成功させる組織~

平成25年4月、33歳で日南市の市長に就任した﨑田さん。「できない理由ではなく、できる方法を考える市役所」をモットーに既成概念にとらわれない市政運営を行い、数々の官民連携を実現してきた。今年4月の任期満了で市長を退任する﨑田さんに、この8年間を振り返ってもらった。

※下記はジチタイワークスVol.13(2021年4月発行)から抜粋し、記事は取材時のものです。

Profile
1979年5月22日生 日南市出身3兄弟の長男で、自然豊かな環境の中、おばあちゃん子で育つ。

<略歴>
2003年3月 九州大学工学部卒業
2004年4月 宮崎県庁入庁
2009年4月 厚生労働省(派遣)
2012年8月 宮崎県庁退職
2013年4月 日南市長就任

【プライベートQ&A】
Q.好きな食べ物:断トツにラーメン
Q.血液型:B型
Q.子どもの頃の夢:漠然と政治行政の仕事
Q.趣味:ラーメンの食べ歩き
Q.好きなおでんの具:卵
Q.野球派?サッカー派?
両方!当市はプロ野球(広島カープ・西武ライオンズ)・Jリーグ(横浜FC)キャンプ地。
毎年ワクワクです♪

小さな成功体験が人と組織の活力に。

―ご就任当時、「日南市役所」は市長の目にどのように映りましたか?

実は、就任当初からあまり「大変だった」と思ったことがありません(笑)。当市に限らず地方公務員の皆さんは、地頭がよく、小さい自治体ほど、地域への強い思いを持っています。「自分たちが!」という使命感のもと、堅実に業務を進めてくれるので、安心して仕事を任せることができました。

ただ、「これは自分たちの課の仕事ではない」など、“公務員ならではの文化”はどこの自治体にもあるように、当市にもありました。ですので、先手を打って「できる方法を考える市役所」をつくると伝えたのです。それにより、“できない理由”を私に持ってくることができなくなり、職員自らが“できる方法”を考えるようになっていきました。

―日南市には、なぜ官民連携が必要だと感じたのですか?

私は宮崎県の職員だったので、自治体の予算が潤沢じゃないことや、自分たちだけでまちづくりをするには限界があることを知っていました。ですので、民間と組む必要があるなと就任以前から感じてはいました。

ただ、それもあくまで手段の1つ。私が目指した「自走するまち」を実現するには、様々な課題を行政の予算だけで解決するのではなく、民間とともに解決し、地域の経済活動につなげていくことが必要なのです。

1.ポート社との調印式。市長就任後初のIT企業誘致(油津エリア)。
2.プラスディー社との調印式。飫肥エリアの古民家を改修しIT企業のオフィスに。
3.旧小鹿倉家オープンの様子。市所有の物件を民間が改修し宿泊施設に。

まちを“自走”させる手段、その1つが官民連携でした。
“前例がないこと”は“おいしい”とうちの職員は思っています。

―官民連携の取り組みについて、職員さんの反応はいかがでしたか。

私は、何か課題が出てきたとき、その解決手段の一部として、官民連携を組み込むような提案をします。この場合、市の予算ではなく、民間の経済活動の中でやることになるので、実はあまり庁内に波風は立たないのです。

例えば、当市の飫肥杉(おびすぎ)を使った製品を、ニューヨークのギフトショーに紹介する費用の調達手段として、クラウドファンディングを活用しました。当時、この仕組みを自治体が使うことが珍しかったこともあり、テレビ番組「ガイアの夜明け」にも取り上げられ、関東からもたくさんのお金が集まりました。これはもう、誰も反対する理由がない(笑)。

―官民連携をうまく進めるために、心がけたことはありますか。

当市で、官民連携がうまくいったのは、私が連れてきた元リクルートの田鹿 倫基(マーケティング専門官 たじか ともき)というブレーンがいたことはもちろん、私が公務員出身だからというのも大きいかもしれません。民間の人が公務員にやり方を教えても、文化や言語が違って伝わらないこともあります。でも私は、公務員の文化で育ったから、どうすれば伝わるかが分かるわけです。彼が生み出した企画を私のフィルターを通して、「こうやればできますよね」と職員に提案してみたり、具体的にやってみせたり。ただ、それも最初の1~2年でした。今や、キーとなる職員たちが各部局でしっかり育っていて、スピード感と柔軟性を持って民間と組んでいます。今や、私が巻き込まれる側です(笑)。

―早い段階から日南市は、自走するようになったのですね。

心がけていたのは、スモールサクセスを繰り返していくこと。小さく始めて、自信をつけてもらいます。特に“全国でも前例がないこと”を最初にやると、メディアが取り上げてくれます。すると、取り組みが市民にしっかり伝わり、褒めてもらえるのです。これは実に“おいしい”。あっという間に職員自ら「他の自治体がまだやってないんですよ」と喜んでやってくれるようになりました。加えて、最初の1年で実験的な取り組みを色々やったことで、日南市は“新しいことをやる自治体”と認識されて、民間から新しい提案がどんどん来るようになったのです。一般的には“自治体での導入実績”があるほうが、提案が受け入れられやすいはずですが、当市ではそれがデメリットになるわけです(笑)。

実は自治体は、新しいチャレンジに向いた組織です。

―これは失敗したなと感じた取り組みはありますか。

税金を無駄にしないのであれば、打率3割でいいと思っています。ですので、何を失敗とみるか……ですよね。予算をつけず、小さく始め、チャレンジを繰り返す。ものにならなかったものも多いですが、次につながる学びは多かったですよ。この発想は、20代の頃に、異業種の勉強会によく参加していた経験がベースになっているように思います。

このような考え方を浸透させるためにも、職員とは常に近い距離で接してきました。SNSなどを活用して、職員と私が同じグループでやりとりをすることも多々あります。失敗を恐れ、新しいことを始めたがらない文化さえ取っ払えば、庁内には様々な分野の優秀な職員がいますので、とことんチャレンジできる環境だと思っています。

―日南市の取り組みの中で、ほかの自治体に推薦したいものは?

当市に大きく貢献してくれている「マーケティング専門官登用制度」は、ほかの自治体ではあまり取り組まれていないように思えます。確かに民間人の採用は難しいものですが、ポイントは、行政組織上のポストとせず、公務員が行う雑務などを一切させないことです。

全国の自治体では、すでに存在している管理職を民間から公募するパターンが結構あります。でも、私はそうしなかった。なぜなら、頑張ってきた職員がそろそろ課長や部長になるかなというとき、いきなり民間人を置くと、職員のモチベーションが下がるからです。私は、職員が“意気”に感じて動く組織をつくることがとても大事だと考えているのです。

―取り組みを続けていく中で、うれしかったことはなんでしょう。

象徴的なのは、就任から数年で大臣が6人も視察に訪れたことです。安倍首相の所信表明演説に、地方創生の成功事例として取り上げられたこともありました。これには、やってきたことを評価いただいたという手応えを感じ、本当にうれしかったです。

あとはベタですが、市民や子どもたちに喜んでもらえたときに幸せを感じます。子どもの幼稚園のお迎えで「〇〇くんのパパ、昨日もテレビに出てたね」とか、小さな子どもにまで知ってもらえて、ありがたいことだなと思います。

―令和3年4月に退任されますが、8年間の市長職はいかがでしたか。

私が尊敬する首長の1人として、県内の五ヶ瀬町の前町長・飯干 辰己(いいほし たつみ)さんという方がいます。その方が、「首長って24時間365日首長だから、真面目にやっていたら心身を消耗して、長年できる仕事じゃない」という話を聞いていました。私は市長になり、その気持ちがよく分かりました。寝ているときも、“あのこと”“このこと”が気になり続けます。本気で全身全霊をかける必要があるのが市長職でした。私はここで一度区切りをつけ、さらにパワーアップを図るつもりです。

―現在の日南市は、「できる方法を考える市役所」になりましたか?

私の感覚としては、最初の数年でかなりのレベルまで到達していました。そして、それを維持できています。だからこそ、任期8年でスパッと辞める気持ちにもなれたというのもあります。

若くして市長に選んでもらい、年上の部下も多い中で、就任当初から温かく迎え入れてもらいました。気持ちよく職員の皆さんが動いてくださったのはとてもありがたかった!市長の職からは退きますが、これからも、官民連携をはじめとする、地方創生や仕組みづくりなどの分野に携わっていければと思います。

また、お会いしましょう!

work history

2013年(平成25年)

テナントミックスサポートマネージャー(油津商店街の再生担当)と、マーケティング専門官(外貨獲得と雇用創出担当)を民間から登用

2014年(平成26年)

企業家・クリエイターとの交流や、地域住民とのふれあいを通じた“ビジネス創出の場”として、全国初の公設コワーキングスペース開設

2015年(平成27年)

まちなみ再生コーディネーター(飫肥地区の空き家利活用の仕組み構築担当)を民間から登用

2016年(平成28年)

油津商店街にIT企業のオフィスが初開設。その後も多くのIT企業の誘致、若者の雇用を創出

2017年(平成29年)

子育ての悩みなどを相談できる、子育て支援センター「ことこと」開設。飫肥杉に囲まれながら、木のおもちゃで遊べる室内スペースも

2018年(平成30年)

“民間が効率的・効果的に実施できることは、民間に委ねる“の基本理念のもと、窓口などの市役所業務を包括的に民間委託

2019年(令和元年)

雇用に関する課題(労働力の不足や早期離職など)に、官民が連携して取り組む組織「地域の人事部事業」開始

2020年(令和2年)

災害発生時におけるコロナ禍対策(3密回避)として、“避難所の混雑情報”配信サービスを民間事業者と連携して開始

日南市の官民連携の主な事例

市長就任後にリードしてきた様々な官民連携の事例の中でも、特に大きな成果を生み、全国的にも注目された2つの事例をピックアップ。いずれも大きな行政予算を投入せずに、地域の活性化に成功している。

1.油津(あぶらつ)商店街の再生

1.イベントができるスペースや飲食店などのテナントが入る「油津Yotten」。
2.商店街でのイベントの様子。取り組み開始から約4年後には、歩行者の通行量が以前の2.5倍から3倍に。

衰退した商店街が活気あふれる場所として再生。

かつて宮崎県南地区最大の商店街だった油津商店街は、空き店舗や空き地が増えて衰退し、厳しい状態になっていた。そこで日南市は平成25年4月、民間人の公募で333人の中から選んだ木藤 亮太さんをテナントミックスサポートマネージャーに迎え、“4年間で20店舗の誘致”を目指した。

1年目には、商店街再生のための「株式会社油津応援団」を設立。カフェを開き、「土曜夜市」を復活させるなどイベントを繰り返し、多世代の交流スペースなども創出した。思いを持つ若者たちが活動に参加し、市民や民間団体の取り組みが活発化。結果として4年間で29店舗を誘致し、10社のIT企業が進出するなど、衰退した商店街は、若者がチャレンジする新しい空間へと生まれ変わった。

2.飫肥(おび)城下町の再生

1.古くからの武家屋敷を、宿泊施設として美しく再生させた。
2.改修・維持管理費の負担はなく、市には賃料収入が入る仕組みに。

民間事業者の資金で歴史的建造物が宿泊施設に。

九州の小京都とも呼ばれ、九州で初めて国の伝統的建造物群保存地区に選定された飫肥の城下町。飫肥城由緒施設などは、指定管理者制度で管理されていたが、年を追うごとに施設は老朽化。改修費の増加に加え、来館者数も減少の一途をたどるなど、様々な課題を抱えていた。そこで、市が維持・管理費を負担するという従来の概念を捨て、民間投資による利活用事業者を公募。結果、市所有の歴史的建造物7施設のうち、「JR九州」が1施設、「JALなどの共同事業体」が4施設を、宿泊施設などとして活用することが決定した。

これにより、民間が施設の維持・管理費を事業経費として捻出しつつ、市には賃料が入るという新しいモデルが実現。市の負担を最小限に抑えながら、継続的に施設を維持することが可能になった。

官民連携を成功させる組織 﨑田市長から学ぶ3つのポイント!!

01.意識を変える

「できない理由ではなくできる方法を考える市役所」と打ち出し、まずは仕事に向かう姿勢や意識を変えた。

02.スピードと柔軟性

民間から一緒にやろうと思ってもらうためには、役所もスピード感を持ち、柔軟に立ち振る舞えることが大切。

03.スモールサクセスを重ねる

大きなリスクを抱えず、最初は小さく始め、どんどんトライして自信をつけていく。打率は3割でいい。

 

【日南市DATA】
人口数:49,929人
世帯数:22,047世帯
(令和3年2月1日時点)

宮崎県南部に位置する日南市は、年間を通じて温暖な美しいまち。風光明媚な日南海岸や、情緒あふれる飫肥エリアなどを擁する観光のまちでもある。

このページをシェアする
  1. TOP
  2. 宮崎県日南市 市長 﨑田恭平さん スペシャルインタビュー ~新・官民連携を成功させる組織~