全国各地で、それぞれのこころをよせる地域「ふるさと」をより良くしようと頑張る団体、個人を表彰する総務省の「ふるさとづくり大賞」の令和6年度受賞者がまもなく発表される。これに先立ち、令和5年度に自治体として受賞した事例をまとめて紹介する。
このうち青森県田子町(たっこまち)は、特産品である“にんにく”を、半世紀にわたる取り組みを通じてブランドとして確立。イベントやグルメ開発、海外との交流まで、にんにくにこだわったまちづくりが評価され、地方自治体表彰(総務大臣表彰)に選ばれた。担当者にその歩みを聞いた。
※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。
Interviewee
青森県田子町
左:政策推進課・政策推進グループ
リーダー 宮村 規恵子(みやむら みえこ)さん
右:産業振興課 1次産業戦略推進グループ
リーダー 戸川 修一(とがわ しゅういち)さん
厳しい品質管理で市場の高評価を確立する。
田子町は令和5年度、にんにくの生産開始から60周年の節目を祝った。その歴史は昭和37年にさかのぼる。
「当時の田子町では水田のほか、畑では稗や麦、大豆を自給自足しており、農家の収入は出稼ぎに頼っていました。農協青年部が出稼ぎからの脱却を目指して新しい換金作物を探していたところ、近隣の福地村(現・南部町)から『福地ホワイト六片種』という品種を20アール分購入して栽培したのがきっかけです」と戸川さんは振り返る。
田子町は寒暖差が大きく、にんにく栽培に適していた。畜産が盛んだったため、堆肥を活用した土作りで栽培環境を整えたそうだ。
▲「にんにく生産部会」設立当初の田子町のにんにく畑。出稼ぎからの脱却が目標だったという。
昭和45年に田子農協に「にんにく生産部会」が設立され、昭和48年に初出荷。「当初は在来種も栽培していましたが、評価の高い福地ホワイト六片種に統一し、品質向上を図りました」。昭和50年には東京市場で、田子町のにんにくが「品質、生産量ともに日本一との評価を受けた」という。
その後の市町村合併などで収量や栽培面積では日本一の座を譲ったが、「厳しい選果基準を設け、品質にこだわってきたことで、市場での評価が高い。品質基準は現在も全農規格より厳しく、最上級のものを出しています」と戸川さんは力を込める。
“にんにくにこだわったまちづくり” が本格化。
高評価を受けて町では、にんにくにこだわったまちづくりを本格的させた。昭和60年には、全国規模の「にんにくシンポジウム」を開催。「全国から参加者が集まり、田子町のにんにくの品質を発信する場となりました」と宮村さんは振り返る。
翌年には「にんにくとべごまつり」が始まった。にんにくと地元産の田子牛のバーベキューを組み合わせた催しだ。「毎年10月に開かれ、令和6年で39回目を迎えます。多くの観光客が訪れる一大イベントです」。その後、2月開催の「にんにくまつり」、6月開催の「にんにく収穫祭」も加わってにんにく3大祭りと呼ばれ、一年を通して関連イベントが続く。
昭和63年には、米カリフォルニア州ギルロイ市と姉妹都市提携を結んだ。「ギルロイ市には3日間で13万人が訪れる『ガーリックフェスティバル』があり、その縁で交流が始まりました」と宮村さん。その後、イタリアのモンティチェリドンジーナ町や韓国の瑞山市とも姉妹都市提携を結び、内外に情報発信しているという。
▲米ギルロイ市との姉妹都市交流の様子。コロナ禍を経て再び交流が活発化し、令和5年に姉妹提携35周年を祝った。
中国産が流入。原点に立ち返ってブランドを守る。
一方、1990年前後には中国産の安価なにんにくが日本市場に流入。国産にんにくは大きな打撃を受けた。田子町のにんにく産業も例外ではない。
「実はこれは2回目の危機でした。1978年に米国産が入ってきて価格が下がった時は、火力乾燥機の導入などで対抗しました。中国産に対しては基本に立ち返り、土作りにこだわって品質の向上を図りました」と戸川さん。さらに優良種子(ウイルスフリー)の導入などで差別化を図り、加工に使うのは中国産でも、直接食べるなら田子産、というイメージを確立した。
その後、平成13年度には農水省の農業生産総合対策事業を活用して、病害虫による品質劣化を防ぐため高温処理施設を新設した。翌年には町独自でにんにく専用CA冷蔵庫を建設し、周年出荷、安定供給、長期保存による品質の劣化防止を実現したという。
▲平成14年度に建設されたにんにく専用CA冷蔵庫。高品質貯蔵と通年販売体制を実現した。
平成18年には「たっこにんにく」が特許庁の地域団体商標に登録された。「有田みかん」や「長崎カステラ」と並ぶ全国最初の登録で、東北ではもっとも早く、田子町のにんにくがブランドとして確立された。
平成22年にはオリジナル品種の開発にも着手し、平成27年に「たっこ1号」として種苗登録された。戸川さんは「市町村で独自品種をもっているところは少ないと思います」と胸を張る。
平成30年には弘前大学と包括連携協定を結んで共同研究を開始。「産地偽装対策として、田子町産のにんにくを証明できるようにDNAでの識別方法の研究を進め、令和4年に技術を確立しました。その後も品質の低下につながる病気などの障害への対策など、さらに研究を続けています」と、戸川さんはブランド維持へのたゆまぬ努力を明かす。
テレビもスキー場も「にんにく」。こだわりを貫く。
▲平成5年に開設された「ガーリックセンター」。建物の形もにんにくを模しているそうだ。
生産現場の取り組みと並行して、にんにくを核とするまちづくりも積極的に進められてきた。
平成5年には「田子町にんにく国際交流協会」を設立。その拠点として建設された「ガーリックセンター」にはにんにく料理のレストランが開業し、にんにく加工品の開発販売も始まった。翌年には町のケーブルテレビ事業が始まったが、運営する財団法人を「にんにくネットワーク」と命名。町のスキー場も「229(にんにく)スキーランド」だ。
「大きな事業をどんどん立ち上げ、どれもにんにく関連の名称がついているので、みんなで盛り上げていこうという町民の機運も高まったと思います」と宮村さんは話す。
「小・中学校に向かう道や、役場や商店街周辺など町民の方が散歩をされるようなところには、にんにくの形の街灯を設置しました。町の公用車や町が運行するバスのナンバーにも229を入れています。何をやるにしてもにんにく推しです」
平成28年には新ご当地グルメ「田子ガーリックステーキごはん」が登場した。町内の飲食店を中心とする協議会が考案したもので、コンセプトは“にんにくのフルコースランチ”。「にんにくを使った9品の料理のほか、鉄板で焼いた田子牛などのお肉をご飯に乗せて肉巻き寿司のようにして食べていただきます」。令和5年12月に提供10万食を達成したという。
▲新ご当地グルメ「田子ガーリックステーキごはん」(左)とご当地キャラ「たっこ王子」(右)。各種イベントで活躍している。
同町のご当地キャラもにんにくをモチーフとした「たっこ王子」だ。初代の“執事”を務めた戸川さんによると「身長にんにく229個分、体重にんにく229個分など、とにかくにんにくにこだわったキャラクター」で、その後も代々、同町職員が“執事”を務めているそうだ。
ふるさとづくり大賞の選考でも、田子にんにくというブランドを多角的に展開し、「町全体で一次産業から六次産業まで取り組まれている点」が高く評価された。
「にんにくへの愛と情熱を、地域の皆さんと一緒に形にしていったらこうなりました。人口も減っている小さなまちではありますが、町民の皆さんも『よかったね』『受賞したね』と喜んでくださっているので、これを機にさらに元気になるような活動をやっていけたらいいなと思っています」と宮村さん。
特産品のブランディングを目指す自治体は少なくないが、同町ほどの成功例は多くない。
「そこまでやるかというぐらいに、とことんこだわることがポイントでしょうか。田子町もにんにく農家だけではありませんが、『田子といえばにんにく』、と信じて取り組んできました。これからもにんにくにこだわり続け、にんにくでつながって、食と観光を目的に人々が集い、交流するまちとして進化していけたらいいのかなと思っています」。
▲田子町産の「福地ホワイト六片種」。粒の大きさと雪のような白さ、寒暖差による甘みでブランドを確立したという。