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誰にとっても失敗は怖いもの。「できることならチャレンジせず、現状維持でいきたい」と考える人は、決して珍しくないだろう。本特集では、現役の自治体職員が経験した“しくじり”と、そこから得た気づきをご紹介。
今回ご紹介するのは、下水道部門での体験談。約30年前、今では考えられないようなスパルタ教育が行われていたという。そんな時代をくぐり抜けてきた西村さんが、かつての修羅場を語る。不慣れな現場で必死に働く中で起きた最大の失敗とは……。
※掲載情報は公開日時点のものです
事前説明不足で、激高した住民が市役所へ。
――西村さんは、どんな“しくじり”を経験されたのですか?
色々ありますが、一番記憶に残っているのがマンホール工事でのトラブルです。
入庁して数年目の頃、マンホールの補修工事を担当しました。作業は問題なく進み、昼食をとりに現場を離れたんです。土用だったので、のんきにうなぎ料理を食べていたら、電話がかかってきて、「住民がめちゃくちゃ怒っているぞ」と言われました。
何のことだと現場に戻ったら、近隣の住民が「お前のせいで車が通れんやないか。どないなっとんねん!」と激高している。工事をする際の説明に納得していないと、かなりお怒りでした。
――ミスをした上に、難しい人を相手にしてしまった、と。
これはしまった、と誠心誠意説明したのですが、全然納得してもらえません。しまいには「お前の上司のところに行くからついてこい」と。それで延々と押し問答が続いて……。最終的には帰ってもらったのですが、対住民のミスは大ごとになると実感しました。
ほかにも、しくじりは山ほどあります。下水道工事のため、掘削してみたら、ガス管とか水道管とかいっぱい出てきて先輩から怒られたり、計算をミスったり、書類を出し間違えたり、無許可で工事を進めてしまって警察に謝りに行ったり。思い出せばきりがないです。
一般行政職なのに“体育会系”の技術畑へ。
――かなり盛りだくさんでしたが…西村さんは一般行政職での入庁だそうですね。
そうです。平成7年に一般行政職として入庁したのですが、なぜか下水道課に配属されて技術職の仕事をやることになりました。
本来なら予算とか庶務的な業務を担当することになると思うのですが、当時は大規模な開発が進んでいて人手が足りず、「新人を活かそう」みたいな感覚で技術畑に引っ張られたんです。最初の数年は先輩の後ろについていたのですが、その先輩たちもどんどん異動になっていき、気づいたら「お前も工事をやれ」という状態で、大阪府の下水道技術研究会では、技術屋と思われていました。
――先輩からのフォローはなかったのですか?
もちろん教わりながらやっていましたが、皆さん忙しいので、教え方も荒っぽいんです。測量や設計書の書き方などは「これとこれ。電卓があったら誰でもできる」といった感じで……。それで自分でも勉強しながら、半泣きで夜中まで作業していました。
現場の指導も非常に粗野だった時代で、先輩の見よう見まねでやっていたら、いきなり「へたくそ」と蹴とばされる。今はそういうことも全くなくなりましたが、当時の下水道の現場はそれが日常でした。とはいえ、技術系の先輩はいい人ばかりで、昼間は蹴られても、夜は一緒に残業してくれて、飯もおごってくれる。「何か買ってこいよ」って。完全に体育会系でしたね。
どんな職場でも、面白さは見つかるはず。
――ある意味、ミスをするのも仕方ない気が…逃げ出したくなりませんでしたか。
それはなかったですね。配属については“仕方ない”と受け入れていました。
下水道課の後にも、いくつかの部署を異動で転々としました。正直いって「嫌だな」と思ったこともありますが、そういうときには“落ち込むところまで落ち込んで、そこから上がってくる”しかないんです。そうして覚悟を決めたら、意外と面白くなっていく。どんな部署でも面白いことは絶対にあります。嫌な人もいますが、面白い人もいますしね。
――印象に残っている職員さんはいますか。
いっぱいいますが、一番は下水道課の上司だった方ですね。朝からスポーツ新聞を読んでいるようなキャラでしたが、本当にいい人でした。私がトラブルの渦中にある時にも、すぐに気づいて「どうした?」と声をかけてくれるし、その場に同席してくれるんです。それで始末書を書いたら、すぐに破って「こんなものはいらん。お前がやったことは俺の責任だ」と。私もそういう上司になりたいと思ったものです。
ネットではなく、経験談にヒントがある。
――その上司と、今のご自身とを比べると、いかがですか?
まだ背中を追いかけている途中です(笑)。当時の、上司との関係性があったからこそ今の自分がある。だから私も目配りをするよう気を付けていますし、できるだけコミュニケーションをとるようにして、たわいないことでも話しています。ただ、こういう時代なので色々とやりにくい部分もありますが。
――若い職員に対して思うことはありますか?
もっと色々聞いてくれればいいのに、と思います。ネットで検索すれば、AIとかが賢く無難な答えを出してくれるのかもしれませんが、やはり自治体の仕事は人が対象なので、疑問に思ったことも人に聞いた方がいい。住民の激高した顔なんて、AIは見たことありませんよね。
もちろん最初から聞くのではなく、自分で調べる努力も必要ですが、それでも分からないことは積極的に聞いた方がいいと思います。特に、こういう失敗事例はどんどん共有して、受け継いでいった方がいい。それは恥ずかしいことではないと、私は思っています。
やらかして乗り越えた経験が人生の糧に!
――「失敗したくない」という職員に向けてメッセージを!
私も、住民や事業者とのコミュニケーションで、色々悩んだり迷ったりしてきました。でも今になってみると、それらが全て自分の財産になっています。私は器用ではないので、失敗ばかりしながら鍛えられたんです。
だから、ノム※さんの「失敗と書いて成長と読む」という言葉がすごく好きです。あと「肯定 肯定 絶対 肯定」という言葉も。失敗自体を「いい経験をさせてもらった」と思うことが大切で、逆に“やらかした経験”がない人は、全てにおいて無難で、面白みがないかもしれません。もちろん人生の失敗はダメですけど。
大切なのは、やらかした後に「ならばどうする?」と考えること。泣きたくなる時もあると思いますが、自分の糧になると考えて、目の前のことを肯定しながら進んでいきましょう。
※野村 克也さん(2020年逝去)の言葉。プロ野球選手・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。過去に何度も挫折を味わいながら、三冠王やホームラン王 など、数々の賞を獲得。 自ら数々の失敗の原因を分析し、次の成功につなげていった結果が数々の栄光をもたらした。